同窓会トップページへ戻る
入会のお誘い
経済学部のひろば
事業・行事案内
同窓会報より
同窓会特別講座
森嘉兵衛賞
会員短信
卒業生サービス
同窓会の案内
[同窓会からのお知らせ]同窓会からのさまざまなお知らせはここから
[リンク集]同窓会や法政大学関係のリンク集

[創立20周年記念事業]特設サイトへ
法政大学経済学部同窓会は
創立20周年を迎えました


[卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ]へ

法政大学経済学部同窓会事務局
〒194-0298
 東京都町田市相原町4342
 電話・FAX:042-783-2550
 (火・水・金曜 9時〜16時)
法政大学経済学部同窓会同窓会特別講座>村串仁三郎名誉教授
同窓会特別講座

遥かな尾瀬
−尾瀬は自然保護の砦としての国立公園によって如何に守られた−

村串仁三郎 名誉教授
自然保護と戦後日本の国立公園 最近、尾瀬が日光国立公園から独立して尾瀬国立公園となった。尾瀬の自然の価値がいっそう高く認められることになった。他方、福島の原発が大事故を起こして、尾瀬一帯の6割近くを所有する東京電力が、責任を問われ社の財産の処分を迫られ、あるいは尾瀬の保護が電力料金の一部によってなされていたことが暴露されて、そのやり方に批判が向けられ、東京電力の所有する尾瀬の一帯の土地を手放さなければならない事態が予想される。
 その折、尾瀬一帯の土地が民間業者にでも買われたら、尾瀬一帯が都会並みの大観光地にされる恐れが生じる。国立公園研究家として私は、東京電力の尾瀬の土地が売りに出たら国が買い上げて国有地とし、尾瀬の自然を断固として守る必要がある、と提案しておきた。

 さて、私が現役の教員時代に、北欧の森と湖をほうふつさせる大自然と貴重な動植物群の宝庫であり、日本有数の優れた景観をもつ尾瀬は、しばしばゼミの合宿地であり、私やゼミ生にとって懐かしい場所であった。
 私が、レジャー研究会を立ち上げて、仲間を組織してレジャーの実態を研究し始めたころ、友人のジャーナリスト川俣修壽氏が尾瀬の過剰利用の問題について調査をするというので、尾瀬は、私のゼミ生と経済学部の同僚松波淳也教授(環境経済学)と彼のゼミ生とで、自然について勉強しながらヒヤリング調査をおこなった懐かしい場所でもあった。ちなみにこの調査結果をふくむ川俣修壽氏の論文「レジャー現場の過剰利用問題−日光国立公園、尾瀬の事例−」は、村串・安江編『レジャーと現代社会』(法政大学出版局、1999年)に掲載されている。
 この尾瀬は、当時私はあまりよく知らなかったのであるが、戦前たびたび電源開発計画によって水没させられる危機にさらされてきたが、尾瀬を守れという官民一体の運動があって、また戦時下に戦況悪化で開発計画が頓挫したため、電源開発による消滅から免れた。
 それだけではない。尾瀬は、戦後もたびたび電源開発計画にさらされ、水没の危機にあった。

 戦後2年目に尾瀬沼の水を片品川に流して下流の発電所に利用するという開発計画が提起され、反対運動にかかわらず、実行されたが、尾瀬沼の水位を変動させ沼の自然を破壊したが被害は小さかった。
 ところが1948年に、戦時に設立された一大独占国策電力会社・日本発送電により、尾瀬ヶ原をダム化して、ダム湖の直下の只見川に発電所を建設し、尾瀬ヶ原を水没させるという開発計画が提起された。この計画にたいし、国立公園の所管官庁厚生省、天然記念物を所管する文部省、それに戦前国立公園を半民間組織として支えてきた国立公園協会とそれに連なる学者、文化人が、尾瀬保存期成同盟を結成して、尾瀬を守れとこの電源開発計画に猛然と反対した。
 この時は、GHQの政策によって、日本発送電が9電力会社に分割されてなくなったため、日本発送電による尾瀬電源開発計画は自然消滅した。しかし、政府の進める戦後復興計画に沿って、改めて1950年から、福島県、東北電力、国策会社の電源開発の各社から尾瀬電源開発計画案が出された。これに対しても、1956年に尾瀬を天然記念物に指定して保護しようとしていた文部省、1953年に尾瀬を特別保護地区に指定して保護に努めていた厚生省はじめ、特に尾瀬電源開発反対運動で結成された尾瀬保存期成同盟を発展的に解消して、日本で初めての本格的な自然保護団体として結成された日本自然保護協会を中心して、尾瀬の電源開発計画反対運動を展開した。
 この運動が功を奏して、尾瀬の電源開発計画は、1956年にうやむやのうちに中断された。こうして尾瀬は水没から免れ、今日にその偉容を維持している。みなさん、このことをご存知でしたかな。
 さらに日本が高経済成長期に入って、今度は東京電力が1958年から尾瀬ヶ原を水没する電源開計画を立案し、1966年に計画を公表した。しかし今度も、尾瀬は国立公園法による特別保護区に指定されており、文化財保護法により天然記念物にも指定され、厳しく開発が規制され、日本自然保護協会を中心として、尾瀬隣接県の福島、新潟に加え山形、青森な両県など諸自治体の反対もあって、開発から守られた。

 ここでそもそも国立公園とは何なのかということが問題である。言葉は広く知られているが、その意味は一般にはあまり知られていない。
 国立公園というのは簡単に言えば、19世紀末にアメリカで、貴重な大自然、大風景を開発から守り、子孫に代々伝えていくために、国民のレジャーのための利用に期しつつ、厳しく開発を規制し、自然を保護しようとして生まれた制度のことである。その後、アメリカでもこの制度が普及し、今日に及んでいるだけでなく、次第に国立公園のアイデアは、世界中に広がり、日本でも、明治末には早くも輸入され、1931(昭和6)年には、戦後知られている富士箱根、日光、大雪山、阿寒、十和田、中部山岳、大山、阿蘇、雲仙、霧島など12の地域が国立公園として指定され、厳しく開発規制をうけて、自然、風景が保護されてきたのである(詳しくは拙著『国立公園成立史の研究』、法政大学出版局、2005、参照)。
 だが、せっかくこんなにいい制度なのだが、日本の場合、重大な欠陥を持っていた。つまり、制度の維持、運営のためにお金が積まれていないのである。そのため国立公園を管理運営する政府機関は、実に心細いものにしか過ぎなかったのである。そのため国立公園は、自然保護を重視する意図をもっていながら、国立公園で開発を規制するための力を発揮できなかったのである。
 戦後復活する国立公園制度は、そうした欠陥を克服できなかった。そのため、国立公園はあちこちで、電源開発や鉱山開発、観光開発にさらされ、しばしば反対運動にもかかわらず、開発を実施されてしまったのである。私は、最近出版した『自然保護と戦後日本の国立公園』において、そうした問題を詳しく論じている。
 しかし国立公園制度は、「自然保護の砦」としての機能をもっており、自然保護を重視する運動によって、尾瀬、上高地の電源開発、富士山五合目以上観光開発、大雪山の鉱山開発などを完全に中止させることができた。その他完全に開発を中止させることはできなかったが、開発を制限することもできた。これらの問題は、これまで誰も研究してこなかったのであるが、拙著では詳しく論じてある。

 自然を保護することは、自分たちの生活環境をまもることであり、国立公園は、地域を限っているが、ここの地域だけは開発を厳しく規制し、子孫に貴重な自然を残すというアイデア、制度なのである。
 原発を許容してきた国民は、これまで自然・環境を軽視してきたことは明らかである。私たちは、国立公園の歴史をとおして、電力会社が利益第一主義に陥って貴重な自然を破壊してきたことに学びながら、自然、環境の重要さを学んでいきたい。  なお拙著『自然保護と戦後日本の国立公園』(時潮社、定価6,000円)は、少々高価なので、下記の拙宅までハガキで申し込んでいただければ、送料込み5,000円で送ります。
〒270-0127 流山市富士見台2-5-16-13-401

(2011.10.25)

村串仁三郎教授 筆者:村串 仁三郎(むらくし にさぶろう)

東京生まれ
1969年4年 法政大学経済学部専任助手
1970年4月 同専任講師
1971年4月 同助教授
1980年4月 同教授
2006月4月 法政大学名誉教授

著書
1972年 『賃労働原論』(日本評論社)
1975年 『賃労働理論の根本問題』(時潮社)
1976年 『日本炭鉱賃労働史論』(時潮社)
1978年 『賃労働政策の理論と歴史』(世界書院)
1989年 『日本の伝統的労資関係−友子制度史の研究』(世界書院)
2000年 安江孝司との編著『レジャーと現代社会』(法政大学出版局)
2005年 『国立公園成立史の研究』(法政大学出版局)
2006年 『大正昭和期の鉱夫同職組合「友子」制度』(時潮社)その他多数