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法政大学経済学部同窓会同窓会特別講座>増田壽男(前法政大学総長、元経済学部教授)さん
同窓会特別講座

「大学のアイデンティとは何か」
―野上弥生子と大内兵衛を語る・法政大学の戦後史をひもとく―
増田壽男(前法政大学総長、元経済学部教授)


「大学のアイデンティとは何か」
―野上弥生子と大内兵衛を語る・法政大学の戦後史をひもとく―



(本稿は、去る2016年3月 日に経済学部同窓会の第10回公開「グレードアップ講座」での講演記録である。編集部)


 はじめに
 法政大学のアイデンティティについて少し考えてみたいと思います。
 一つは2010年が1880年(明治13年)に東京法学社が神田駿河台に誕生して130年になるという節日であり、また創立期に大きな貢献をされたボアソナードと梅謙次郎の没後100年にあたるという年であることから、歴史を振り返ることで、大学の創立の精神をもう一度思い起こすことが必要であると考え様々な行事を行いました。あれからもう6年もたってしまいましたが、少し思い出して話をしたいと思います。
 二つ目は、旧法政第二中学校の同窓会に参加させてぃただいたときに、その場でもらった「戦時下の中学生活=私の戦記」という本についてです。
 三つ目は、法政女子高校の同窓生からお聞きし、昨年の女子高の同窓会でも多くの人が話していた女子高の名誉校長の野上弥生子さんのお話です。
 最後は大内兵衛さんの「われらの願いについてです。


 I、創立130年、ボアソナード、梅議次郎没後100年について
 ボアソナードの名前|ま、皆さんは市ヶ谷校舎の26階建てのボアソナード・タヮーで知っていると思います。彼は法政大学の創立者の一人である薩唾正邦の教師であり、明治16年からは法政の前身である東京法学校の教頭を勤め、講義は明治14年から27年まで、途中1年の中断があるが12年間にわたって持ち続けました。ボアソナードは明治12年から民法典を起草し続け、明治21年に日本人起草の部分を除いて完成させました。この法典は司法省の法律取調委員会で修正・削除を受けた後、元老院に提出され、枢密院の諮詢に付された後、明治23年に公布されました。しかし法典の周知期間として2年半後の明治26年1月に施行することになったのです。この期間に民法典論争がおき、反対の「延期派」と賛成の「断行派」が対立し、明治25年に延期法律案が貴族院で可決されてしまいました。ボアソナードの起草案はこれによって形式的にはなくなることになってしまったのですが、これを修正したのが後で話す梅謙次郎であり、フランス民法典の影響が完全になくなったわけではなかったのです。しかしこの論争に敗れた後はドイツ法が勢力を増すことになり、法政大学の前身の和仏法律学校の経営が苦しくなってしまったのです。ボアソナードは明治28年失意のうちにフランスに帰国し、アンチーブに隠棲し、明治43年(1910年)85歳でなくなりました。
 梅謙次郎は侍医の次男として松江に生まれました。東京外国語学校フランス語科を最優等な成績で卒業し、司法省御用係を経て、東京大学法学部教員となりフランス、リヨン大学に留学し、博士号を取り、リヨン市よリヴェルメイユ賞を授与されました。そしてこの博士論文は市費出版されるという名誉を受けました。彼は単に成績優秀だけでなく、エッフェル塔がフランス革命100周年で完成し評判になっているとき、エレベーターを使わず、はしごで上り下りを行い新聞に報道されるという、エピソードも残しています。和仏法律学校の学監を引き受ける話もかわつています。彼は私立学校への出講は一切引き受けないつもりで帰国しましたが、リヨン時代の友人を通じての富井政章(日本の民法典の起草者の一人)の横浜港船内での説得で引き受けてしまうのです。そして20年にわたって給与を一切もらわず和仏法律学校のために尽くすのです。その間梅は民法。商法の起草をはじめとする立法家の仕事、法制局長官、文部省総務長官、韓国政府顧問などの行政家の仕事などをこなしたのです。彼は韓国法律制度の立案起草のため韓国に滞在中51歳でなくなります。
 法政大学では、創立130年を記念し、金丸鐵、伊藤修の故郷である大分県杵築市で法政大学の後援会が中心になって記念にイベントを行いました。ボアソナード、梅 謙次郎の没後100年については2010年9月26日に記念式典を行いました。そこでは飯田泰三氏と林真貴子氏の対談、記念展示、記念パーテイーを行いました。また記念シンポジウムを4回、3年にわたって行いました。


 2、「私の戦記」について
 総長になつて、旧法政第二中学校,同窓会が行なわれ、私も参加させていただきました。そこで私は旧制の第6回の卒業生である鈴木信男さんが書かれた絵日記の小冊子「戦時下の中学生活―私の戦記」をいただきました。それを読ませていただき感動しました。それは爺の昔語りとして中学生のお孫さんに自分の中学校の生活を絵日記にしてお話になったものだということでした。そこでは法政二中が予科の隣に立てられ、駅からの一本道で周りはすべて水田であつたこと、先輩が学徒動員で出征する壮行会のこと、学徒動員で住友通信(今の向河原のNEC)に行ったこと、横浜の大空襲などが丹念に絵と言葉で表現されていました。
 戦争の記録を後世に伝えるということを自分の体験を語ることで伝えるということの実践をなさつておられることに感動しました。


 3、野上弥生子さんについて
 野上弥生子は、1985年に100歳でなくなられた大女流作家で、「真知子」「迷路Jや「秀吉と利体」などの作品が有名です。この野上さんは法政女子高の名誉校長を長年勤めておられました。法政女子高の教育の指標として、「女性である前にまず人間であれ」という言葉がありますが、これは野上さんが創立期に生徒に話された言葉です。
私はこのことを知りませんでした。昨年法政女子高校の同窓会が開かれ、そこで法政のOGの話から知りました。皆さんはこの言葉がどんな意味を持つと思いますか。いろいろな意味を持っていると思います。皆さんは女性が参政権を持つようになったのはいつのことだと思いますか。1946年の戦後第一回の選挙からです。ここで初めて39名の女性議員が誕生したのです。そして日本国憲法がこの年に公布され、男女同権が憲法に明記されたのです。皆さんは歴史の授業で、平塚雷鳥の女性解放運動については勉強したと思いますが、彼女が創刊した「青踏」に野上さんも参加しています。それゆえに、この言葉の意味
は非常に深いと思います。
 参政権はこのようにして付与されましたが、女性差別は依然として深く社会に根を下ろしています。特に職業に関する差別はかなり深刻です。1985年には男女雇用機会均等法が成立し、雇用における男女差別は法律的にはなくなりましたが、実体ではまだまだ差別が存在しています。これらの問題を解決するためには、皆さんは、高校、大学という場でしつかりと自分がどういう社会の中で存在しているのかを自覚するために、勉強して欲しいと思います。
 少ししつこいかもしれませんが、もう一つ野上さんの言葉について考えて欲しいと思います。野上さんは法政女子高校の20周年記念誌に「不変なるもの」という一文を寄せられています。そこで次のように述べられています。「『すべてのものは変わる。しかし変はらない』。かういう古語です。あらゆる激動の底にも普遍のものが存在することを知り、それを見つけ、それによって生きるのを学ぶことは、決して時代後れではなく、それどころか現在の精神的動乱においてこそいよいよ必要な知恵だといへましょう」。
 これが書かれた時は1969年で、1970年の日米安保条約改定を前にした、大きな社会運動のさなかでした。大学では学生運動が盛り上がり、法政大学でもバリケードが張られ授業がほとんどできないような状態でした。そういう精神的な動乱期においてこそ、普遍的な学問を知り学ぶことの重要性を述べたのだと思います。


 4、大内兵衛さんの「われらの願い」について
 大内兵衛さんは、法政大学の総長をされていた時に、ご自分の大学の教育理念を、学園の理想「われらの願い」として次の言葉に込めました。
一、願わくは、わが国の独立を負担するに足る自信ある独立自由な人格を創りたい。
二、願わくは、学問を通じて世界のヒューマニティの昂揚に役立つ精神を振作したい。
三、願わくは、空理を語らず、日本人の生活向上発展のために、たとえ一本一石でも必ず加えるような有用な人物を作りたい。
 また大内総長は退任後の講演「法政大学への遺言」の中で、この願いについて再度次のように強調されている。
「今日より30年ののち50年ののち、日本はいかなる問題をもつでありましょうか。その問題がなんであるにせよ、わが日本は世界のうちに立って、平和と民主主義を持って、世界のリーダーたる国にならなければなりません。その日本において、指導力を持つのはどういう人間でなければならんでしょうか。それは申すまでもなく、そのイデオロギーにおいて十分訓練されておるばかりでなく、さらにそれを実現する実力、人間としての労働力、技術、手腕においてすぐれたる人間でなければならないのであります。私がこういうことを申しますのは、この学園の理想として掲げた「われらの願い」が、それに通ずるからであり、今日、私が諸君と別れるにあたり、どうしても諸君、特に学生諸君に今一度それを諸君の覚悟として思い出していただきたいからであります」。
 この大内総長の言葉は、現在も輝きを失ってはいないと思います。


 5 結び
 以上4つの事例を挙げて法政大学のアイデンティテイについて考えてきました。これらを通じて法政に流れている普遍的な考えは、「自由と進歩」「進取の気性」だと私は思います。皆さんがそれぞれ法政大学にいかなる思いを持つのかは、様々であると思いますが、法政の持つこの精神は、我々が誇ってよいものであり、学生たちに伝えていくべきものと考えます。
 私が総長になって始めた「法政学への招待Jという特別講義は、法政の歴史、先輩からの話、スポーツや、特色ある研究所の紹介など盛り沢山な授業です。この授業が皆さんのおかげで今も続いているのをうれしく思います。これらを通じて法政の学生が自分の大学をより深く知り、愛校心を育んでほしいと願っています。同窓会の皆様にもぜひこの講義を受けてほしいと思っています。



増田壽男(前法政大学総長、元経済学部教授) 1941年 東京都出身
1964年3月 慶応義塾大学経済学部卒業
1966年3月 同大学院経済学研究科修士課程終了。
1970年3月 同大学院経済学研究科博士課程満期退学
1970年4月 法政大学経済学部特別助手 
1971年4月 法政大学経済学部専任講師
1972年4月 法政大学経済学部助教授
1979年4月 法政大学経済学部教授   
1984年4月 イギリス歴史研究所(ロンドン)客員研究員
1993年4月 法政大学経済学部長(1995.3まで)
2000年4月 法政大学比較経済研究所長(20002.3まで)
2008年4月 法政大学総長(2014.3まで)
2011.4名誉教授