村串名誉教授の「卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ」
 遠藤英典(えんどう ひでのり)さん
「卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ」>第2回「遠藤英典さん(ブライダルビジネス)」


 卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ第2回


   !転職して沖縄に流れついて自立!
遠藤英典氏プロフィール
1974年、福島県生まれ
1992年、日本大学東北高等学校卒業
1993年、法政大学経済学部入学
1993~96年、在学中、箱根駅伝選手として活躍
1996年、法政大学経済学部卒業
1996年、㈱スズキ入社
2000年、同社を退社
2001年、沖縄に移住、就職
2007年、ブライダルビジネス・TASUKIを起業、今日に至る。
 インタビユーアー=村串仁三郎(経済学部同窓会ホームページ部会長、法政大学名誉教授)。
 なお本インタビユーは、遠藤氏が遠隔地のためインターネットのメールを通じておこなった。



(村串)今日は、卒サラ・企業家シリーズの第2回のインタビューに応じていただき有難うございます。
(遠藤)こちらこそ、大変興味ある企画に参加させていただき有難うございます。お久しぶりです。僕の結婚式以来ですね。6年前でしたか、・・?
(村串)元気そうでなによりです。貴君が結婚してしばらくたって、サラリーマンをやめて、自分でビジネスを始めたと聞いてびっくりしましたよ。
(遠藤)自分でも、びっくりしています。
(村串)そもそも、福島出身の君が沖縄に行ってサラリーマンをしていると聞いただけで驚いたのに、君が沖縄の女性と結婚するから結婚式に来てくれと言われて、さらにびっくりしましたよ。
(遠藤)自分でも、もっとびっくりしていますが、沖縄への永住の希望もありましたし、両親を安心させる為の策略婚だったかもしれませんが・・。
(村串)ところで、どのようなビジネスを始めたのですか。
(遠藤) 簡単に言えば、結婚披露宴の後の二次会をプロデュースする業務です。沖縄の披露宴では、招待者数だけでも、200~500人の大人数ですので、その後の二 次会でも60~120人が参加されます。幹事さんに代わり、司会者とカメラマンを手配して、当日の二次会の企画、進行させていただいております。
(村串)スタッフは何人くらいでやっているのですか?
(遠藤)平日業務は私と妻の二人ですが、週末は登録スタッフを含めて、計10名程度です。


仕事中の写真


(村串)つまり平日業務というのは、おもに申込みを受けたり、業務の中味を打ち合わせたりということですね。週末の業務というのは、スタッフの人達で二次会を、具体的にプロデュースすることですね。
(遠藤)そのとおりです。
(村串)事務所はどこに構えているのですか?
(遠藤)事務所は弊社と提携会場を運営する事務所を間借りしております。
(村串)超零細企業ですね。家族経営の極致?
(遠藤)そうです、はじめはなんでも少人数からでしょう。
(村串)それはそうですね。さて事業を自分で起こそうとした動機は、どんなことでした?
(遠藤) 今でもお世話になっている経営者の方との出会いに肩を押されました。福島から移住して、「ずっと沖縄で生活するなら独立しなさい」と言われました。そこで、自分の結婚式で経験した事がビジネスのヒントになりました。


遠藤の結婚式の写真


(村串)そこのところをもっと詳しく言ってみて下さい
(遠藤)つまり、結婚式の後に二次会があるでしょう。先生も出席してくれましたよね。その二次会の企画・運営をビジネスにしたらどうかと考えたわけです。忘年会なんかでもそうですが、幹事になったら、以外に大変ですよね。
(村串)なるほど、いわゆる一種の隙間ビジネスですね、誰もやらないことをビジネスにする。
(遠藤)そうです。
(村串)質問の定石ですが、企業を起こすことに不安はなかったのですか?
(遠藤)それはそれは、ありましたよ。先生にメールで相談したことを思い出します。「これからが不安です。」といった内容でした。先生からのお返事は「不安だから、頑張るんだよ!」これで、全てが吹っ切れました。
(村串)最初は、経営も大変だったでしょうね?
(遠藤)はい、大変でした。昼間、私はお土産屋で泡盛売り、妻はお弁当屋で弁当売りしていましたから。2人の口癖は「売上なくても腹は減る」でしたから(笑い)。しかも、当時は二次会のプロデュースなんて認知されていませんし、これで生活出来るのかと・・。
(村串)現在、経営はどんな具合ですか?
(遠藤)現在、創業4 年目ですが、年々依頼の組数は増えてきております。昨年は224組の新郎新婦をお手伝いさせていただきました。また、私どものプロデュースした二次会に参 加された方が、「その次は、私の結婚式だからお願いします」と依頼されることもしばしばです。正しく、社名であります「TASUKI」の様に見えない、お 客様とわれわれが繋(タスキ)のように繋がっています。


仕事中の写真(屋外で司会でもやっている遠藤)


(村串)年間売上げ額など教えてもらえますか?
(遠藤)今は、答えをパスしておきます。
(村串)ところで、遠藤君は、大学時代は、駅伝をやっていた。
(遠藤)はい、スポーツ推薦で法政大学の経済学部経済学科に入学させていただきました。
(村串)大学在学中は、駅伝の練習ばかりやっていた?
(遠藤)はい、学校には毎日通っていましたが、多摩キャンパスのグランドが学び舎でした。
(村串)法政大学は、体育会といえども勉強させられますからね。
(遠藤)はい、ゼミにも入っていました。先輩に言われて村串ゼミに入れてもらいました。練習の合間に村串ゼミに出席していました。 
(村串)ゼミが終ってからのノミナールのほうが出席率が高かったのではなかったのではないですか。
(遠藤)はい。でもゼミの終ったあとでも出席して、ゼミの仲間や先生と一緒にお酒を飲みながら話し合ったのも、すごく勉強になりました。これは本当です。無理してゼミに入っていたのが、とても勉強になりました。村串先生にも出会えたわけですから。
(村串)現役時代は、何度箱根を走ったのですか?
(遠藤)2回走りました。1995年の3年生の時に7区、次ぎの4年の時に10区です。
(村串)私が、かみさんと一緒に、かまぼこ屋「すず広」の前の7区のスタート地点に君を元気づけるために会いに行ったのを覚えていますか。
(遠藤)初めての駅伝だったので、あまりよく覚えていません。
(村串)けしからんなあ(笑う)。
(遠藤)はい、すいません、不義理の弟子で(笑う)。
(村串)大学を卒業してからどうしました?
(遠藤)自動車の㈱スズキに入社して陸上競技を2年間続け、その後福島へ戻りまして、㈱スズキ自車販売福島で営業の仕事を1年半ほどしていました。退職後沖縄へ渡りました。
(村串)君が一時音信不通になったので、私は、君の実家に問い合わせたら、お母さんが「行方不明です」と言ってきたので、心配しましたよ。
(遠藤)すいませんでした。ご心配をかけて。
(村串)沖縄に行った経緯はなんだったのですか?
(遠藤)若気の至りかも知れません。寒い地域には住みたくなかったので。
(村串)本当はもっと何か原因があったのではないですか、失恋したとか何だとか?
(遠藤)本当は、今後の人生を考えたら、楽しい人生を歩みたかったからです。沖縄の方の生き方に憧れちゃいまして。 
(村串)沖縄に住み着いてしまった理由は何でしたか?
(遠藤)妻は沖縄出身ですので、沖縄を離れる理由がないからかと思います。それと、やはり沖縄での生活は人間らしい生活を過ごせます。青空とか海とかも良いですが、時間に対して、時計はあるけどきっちりしてない部分とか。
(村串)沖縄に行ったころは何をやっていたのですか?
(遠藤)遊びばかりです。離島に行ってビーチに行ってビールを飲んで。


沖縄のビーチの美観


(村串)現実逃避だったわけね。そのころ何を感じていたわけ?思い悩むことが多かったのでは?
(遠藤)いいえ、楽天家なので、別に悩むことは何もなかったです。そのうち、遊び疲れて、沖縄で、広告関係の会社にて4年間勤務の後、現在に至ります。
(村串)先にも聞いたのですが、自分で企業を始めようと考えたのは、何故ですか?
(遠藤)人との出会いとタイミングかと思います。チャンスが廻ってきましたから、このタイミングを逃したら、一生独立出来ないかと思いまして。
(村串)そのチャンスというのをもっと詳しく聞かせて下さい。
(遠藤)先程もお話させていただいた、経営者に色々なお話をお伺いすることが出来ました。お金が流れる仕組み作りの基礎を築いてくれる興味深いお話を聞くことが出来たから、こうすれば、こう流れてくると実感できました。
(村串)自分で企業を始めてみて、ぶつかった悩み事があったら教えて下さい。
(遠藤)知らない沖縄での人間性に心おれそうになりました。幼稚な嫌がらせとか・・。沖縄の人間ではない私が事業することに快く思わなかったのでしょうね。
(村串)駅伝の選手だったことが、ビジネスをやっていて何か役立ったことはありますか?
(遠藤)ありきたりですが、体力と精神力です。とくに、箱根駅伝の出場で鍛えたプレッシャーに負けない気持ちですかね。それと、寮生活で培った、先輩を喜ばせるテクニック?現在は先輩ではなく、お客様に替わっただけですかね。


7区を走っている遠藤選手


(村串)今、自分で企業を始めたことをどのように思っていますか?
(遠藤)本当に独立し て良かったなぁと思っています。創業当初は、「お仕事は何をされているんですか?」って聞かれる事が凄く恥ずかしかったんです。結婚式の二次会プロデュー スですって答えるのが・・。ですが、今では沖縄のこの業界で一番の件数をこなしていますし、仕事が充実してきましたので、「ブライダル関係の仕事をしてい ます」と胸をはって答えています。お客様が色々な提案をしてくれます。現在は二次会だけに留まらず、披露宴と二次会を取り入れた1.5次会と言ったアット ホームなパーティも増えてきています。また、沖縄独自の商品を取り揃えた、二次会用の景品サイトも製作中です。また、広告関係の経験から、ウェディングに 関する印刷物も手掛けています。
(村串)そう言えば、4年前に、沖縄で法政大学連合校友会が大会を開いた時に、参加者にお土産を売ったのでは?
(遠藤)はい、経済学部同窓会の協力をえて、法政大学連合校友会名入りの泡盛のお土産を作って稼がせてもらいました。その節は有難う御座いました。
(村串)体育会系のわりに芸が細かいですね。
(遠藤)体育会系とは関係がありませんよ、商売のアイデアは。
(村串)今当面している経営上の悩みは何かありますか?
(遠藤)悩みは人手不足です。二次会に参加されるお客様のリピーターが増えてきまして、進行がバレバレになってきちゃっています。
(村串)その悩みは解決しそうですか?
(遠藤)企画について、もっと考えなければなりませんね。
(村串)今、これから起業したいと思っている人に、先輩として何かアドバイスをお願いします。
(遠藤)仕事を続けな がら、虎視眈眈と起業したいと思っているかと思いますが、忙しいとか、まだ、そのタイミングじゃないとか、自分へ理由付けするのではなく、早めに独立へ向 けて動いた方が良いと思います。30歳での独立と40歳での独立ですと、営業活動出来る時間と言うのは限られてきますし、体力も落ちてきますから。
(村串)そのほかに何か?
(遠藤)夢や目標は、独立や社長と言うのではなく、経営してからがスタートです。社長になりたいと言うのは目標ではなく、起業してから、自分の人生をどう思い描くのかが大事かと思います。


二人の写真


(村串)なるほど、さすがに私の教え子だけある。なかなか含蓄のある言葉だ。最後に将来の夢みたいなのもについて、語って下さい。
(遠藤)現在の夢は、 沖縄の結婚にまつわるトータル的な企業を目指しています。司会者も二次会から育成し、披露宴への派遣も可能になってきていますし、ウェディンググッズの販 売等(オーダードレスや印刷物)の販売も手掛け始めています。これからの沖縄のウェディングは全てお任せと言えるような企業を目指しています。
(村串)長時間、大変興味深い話を有難う御座いました。今後のご活躍に期待します。
(遠藤)ありがとうございます。これからも、先生、宜しくお願い致します。




Web作成:中村寿徳(常任幹事)
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