村串名誉教授の「卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ」
山下宣良(やました のぶよし)氏


卒サラ・起業家インタビュー・シリーズ第3回

  !サラリーマン19年の苦節・修行、卒サ・起業して7年!

 

【山下氏のプロフイール】
静岡県立浜松湖東高等学校卒業、1985年法政大学経済学部経済学科卒業。安藤電気株式会社、株式会社共同通信社、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)、株式会社QUICK、新日本製鉄株式会社入社(途中から新日鉄ソリューションズ)を経て、2003年9月株式会社スパイラルネット設立し代表取締役社長に就任。現在に至る。1962年静岡県浜松市生まれ。

 インタビュアー=村串仁三郎(経済学部同窓会ホームページ部会長、法政大学名誉教授)
このインタビューは、2011年12月28日に行ないました。

1Q 今日は、卒サラ・企業家シリーズの第3回のインタビューに応じていただき有難うございます。
A 私のような者がこのような形でインタビューされるとは思ってもみませんでした。とても光栄なことですが、恥ずかしくもあります。

 

※スパイラルネット社の打ち合わせコーナーにて対談を始める山下氏と私

 

2Q 山下さんとの出会いは、今回の経済学部同窓会創立20周年記念祝賀会がきっかけでしたね。私が私より4年ほど先に退職された阿部正昭先生のゼミ同窓生名簿をお借りして20周年記念祝賀会へ参加を呼び掛けると、山下さんが「同窓会員でなくても参加できますか」と私のところへ電話を下さった。阿部先生から山下さんは、脱サラして起業しかなり成功している立派な人だと言ってきました。法政大学経済学部同窓会創立20周年祝賀会でお会いして、明るい気さくな方だったので安心しました。その時このインタビューを受けることを約束していただいたのでした。20周年記念祝賀会の印象というか、参加された感想お聞きかせ下さい。
A 阿部先生にはゼミでお世話になり、私の結婚式の仲人をしていただいた恩師であります。7年前の起業以降、私はとても忙しくなり、阿部先生との連絡もほとんどできない状態にありました。そんな中、2011年の9月に阿部先生から「20周年記念祝賀会にキミも参加しないかい?」とお手紙をいただきました。阿部先生からいただいた手紙に村串先生のことが書かれており、いてもたってもいられず村串先生に電話をお掛けした次第です。
20周年記念祝賀会は、大学総長を始めとして経済学部長もご参加されてとても賑やかな会でした。ただ年配の方が多く、逆に若者が少なかったのは残念なことでした。今後は少しずつでも若者を増やしていけるような仕組みを講じることができたらいいなと思いました。

 

※20周年記念祝賀会の時の阿部名誉教授と山下氏

 

3Q おっしゃる通りで、同窓会はもともと50歳代から60歳代の卒業生が中心になってスタートしましたが、創立から20年も立つと私のように50歳代が70歳代になり、60歳代の人たちの多くが亡くなられ、残っている方も高齢で同窓会活動の第一線から引かれています。新たに50歳代から60歳代の卒業生が同窓会に加入してくれるといいのですが、そうなっていません。従って自然退会される方が入会してくれる卒業生の数を上回っていて、会員数の絶対的な減少が進行しています。山下さんからみて若い卒業生を会員に迎えるためのアイデアとか仕掛けが何かありませんか。
A 若い卒業生の方々を会員に迎え入れるためには、彼らにとって会員になるためのメリットを提供できることが必要だと思います。例えば、数十名単位で情報交換を行える会を定期的に催したり、大学OBで企業経営に携わる方や起業した方々をお招きして講演会を開催するなど、同窓会の会員になるメリットを増やせるといいと思います。率直に申し上げますが、同窓会という枠組みの中では「大学という学問の世界」と「卒業生が身を置くビジネスの世界」のコラボレーション(融合)がもっと沢山あっても良いのではないかと考えます。

 

4Q ご指摘の通りです。卒業生に来てもらってやっている学生向けの就職セミナーというのは別ですが、私もいつもそうしたことを計画してきたのですが、実施するにはいたりませんでした。

しかし今年はそうした計画をぜひ実行したいと思っています。
さて、御社のインターネットWebサイトで山下さんの略歴を拝見しただけで、山下さんの人生は波乱万丈ですね。まず生い立ちから伺いましょうか。

A 私の社会人としての(正確にはサラリーマン)人生は紆余曲折がありました。起業するまでに4回も転職(すなわち5社に勤務)しました。起業以降も、サラリーマン時代とは別の意味で現在も波乱万丈の真只中にいるのではないかと感じています。ちなみに私は浜松市の西側にある浜名湖の近くの町で育ち、高校を卒業とともに東京にきました。少年時代は少年時代は大人しくて、お人よし。ですからまったく目立たないタイプだったと思います。

 

5Q 高校生まではわりに平凡だったということですか。では大学時代はどういう生活をされましたか。
A 大学時代は学業と遊びをバランスよくこなしたと思います。教養課程時代は、どちらかと言うと語学(英語)にかなり入れ込んでいました。夜はサークルの先輩・後輩たちと神楽坂や歌舞伎町でお酒を飲むのが日課でした。ただ専門課程になってからは、阿部ゼミ(欧州の農業経済論)と経済理論(ケインズ経済学)を中心にまじめに学業に専念しました。

 

6Q 教師の立場からみて、山下さんの学生時代で感心するのは、みんなが嫌がる教養課程の時期に英語に入れ込んだということですね。法政の学生・卒業生の弱点の一つである英語に弱いということを克服していますね。この点どうお考えですか。
A 自分ごとをひけらかすのはとてもおこがましいことですが、何故か私は中学生の頃から英語の成績だけは良く、高校・大学ともに英会話のサークルに所属していました。大学1年生の頃から『社会人になったら世界を股にかける仕事をしてみたい』という憧れを強くいだき始め、その気持ちを忘れることなく維持し続けることで、じわじわと英語力を高めることができたと思っています。今でも週1回のペースで英会話スクールに通い、かつ1日あたり1~2時間は英語のレッスンを行っています。過去を振り返り、英語力をアップするまでにはとても長い時間がかかりました。重要なのは「自分のセールスポイントを見出したら、諦めないでやり続けること」が成功のポイントだと思います。

 

 

※阿部ゼミにて多摩キャンパスを訪問。一番手前の右が当時の山下氏

 

7Q これからインタビユーの核心に入りたいのですが、わくわくする思いです。さて、まず今おこなっておられる会社の概要をお話して下さいませんか。詳しい話は後ほど少しずつ伺いますので、初めはごく簡単に、会社の概要(どのような業務を行っているか)をお願いします。
A 当社は銀行や証券会社の金融・証券取引システムの構築を行っております。具体的には銀行や証券会社が取引する外国為替、債券、株式、デリバティブ等の金融取引を管理するためのシステムのユーザーニーズを取りまとめ、設計・プログラミング・テストして納品するというシステム構築を主要事業ドメインとしています。銀行や証券会社が取引する複雑な金融商品を管理するシステムは、微分積分、統計処理(回帰分析、標準偏差計算、累積密度計算等)、多変量統計処理(相関係数測定等)、ベクトル計算(行列処理)などかなり高度な演算を行うシステムがあり、当社はそういった類のシステムの構築を任されることが多いです。この手の複雑な演算処理を行うシステムを構築できる会社があまりないため、最近は『ひく手あまた』で嬉しい悲鳴を上げております。ちなみに私自身、大学卒業後の20代から30代にかけて10年間ほど独学で数理統計の勉強をしてきました。今となってはもう忘れてしまいましたが…(笑)

 

8Q 私はビジネス関係には弱いのですが、大変、興味深い事業を展開されているという印象です。特に感心した点は「大学卒業後に10年間ほど独学で数理統計の勉強をしてきました」ということですね。とかくサラリーマンは、惰性に陥って特別に勉強することがなくなりがちですが、10年間独学で数理統計の勉強をするなんすごい人ですね。それだけでこの人はすごいと思ってしまいますよ。
A 数理統計もさることながら、社会人1年目の時に簿記1級を取得しました。また30歳の頃に勤務していたコンサルティングファームの仕事でシカゴやニューヨークに年に何度も出張していました。今も仕事柄、外国人エンジニアと打ち合わせを行ったり、ニューヨークの銀行へ出張したり、英文での契約業務の遂行のため、今でも英語力の向上に努めています。ようやくこの歳になりTOIEC900点に近づきつつあります。それ程、遠くない将来、ニューヨークとロンドンに現地法人を設立したいと考えております。

 

9Q 山下さんが起業されて会社は、今年で何年たちましたか?
A 起業は2003年9月ですから、7年4ヶ月が過ぎました。でも、もうそろそろ後継者候補を探さなくてはならない時期(年齢)になってきました。日本の世の中を見渡してみると、日本の政界の方々や上場企業の経営陣はもっと若返るべきだと思います。日本は斬新な考えを持つ若手(40歳代)に覇権(政権や経営権)を譲り、旧態依然とした既存の枠組みをイノベーションする時期に差し掛かっていると思います。

 

10Q 現在スタッフは何人くらいでやっているのですか?
A 社員は現在30名で10強のシステム構築プロジェクトを遂行しております。リーマンショック以降、この3~4年間はとても大変な時期でしたが、本年(2011年)から当社の業績は回復してきております。来年・再来年はそれぞれ年あたり10~15名ほど採用し、2年後には50~70名の組織体制とし、更なる経営基盤の安定化を図りたいと思っております。がしかし、当社が構築するシステムはかなり難易度が高いものが多く、それに見合う素養のある人材を探し出すのは、これまた至難の業です。

 

11Q 御社の年間の売上げは、差し支えなければ、どのくらいですか?
A リーマンショック以前の年間売上は7億円程度でしたが、リーマンショック以降は4~5億円の水準です。2~3年後には10~15億円の売上を達成したいと思っています。

 

12Q こまかな売上げの話などお聞きしたいところですが、企業秘密に属することも多いでしょうから遠慮しておきます。経営上の問題についてはまた後ほど伺うとして、話をもとに戻させていただきますが、法政大学の経済学部に入学されましたが?どうして法政経済に?
A 東京六大学のどこかの大学で経済学を学びたいという思いがありました。正直にお話しますが、法政大学は第一志望ではありませんでした。「私が合格した東京六大学は法政のみだった」というのが理由です。今となってみて「鶏頭牛尾」を実現できたと思っています。母校のことを「鶏」と言ってはいけないでのですが・・・。出身大学の良さは、卒業して十数年ほど過ぎた頃に分かる人には分かるのだろうと思っています。逆に分からない人には分からない。私はそれでいいと思っています。

 

13Q 阿部ゼミの思い出は?
A 阿部ゼミでは大学3年時にゼミ長を務めさせていただきました。夏は伊豆の伊東海岸で合宿したり、真冬に河口湖の近くにある大学の宿舎でゼミ合宿したり、自分なりに張りきってゼミ長をこなしたと思っていますが、阿部先生はゼミ長だった私の行動をきっとハラハラして見ていたと感じております。そんな先生の心配を脇目に私自身は阿部ゼミ生として大学生活を謳歌しました。

 

※阿部ゼミ合宿。前列右から3人目が阿部先生、後列左から2番目が山下氏

 

14Q 山下さんは、市ヶ谷卒でしたか。ずいぶんお若く見えるから、多摩派かと思っていました。ところで学生時代に一番印象にのこっていることは?
A 私は大学3年修了までに卒業に必要な単位のほとんどを取得できましたので、大学4年生の時に「一人で東南アジアを見てみたいので1ヶ月間、ゼミを休ませて欲しい」と阿部先生にお願いし、シンガポール・マレーシア・タイ・香港の4カ国をバックパッカーしてきました。この一人旅では終始、たどたどしい英語で現地の人たちに話しかけました。東南アジアの人たちはみなさん総じて親切なので、私のプリミティブな英語での質問にも丁寧に答えてくれました。あの「ぶらり一人旅」は、その後の自分に大きく影響を与えました。今だからこそ、そう言うことができます。

 

15Q 阿部先生がゼミを休んで1ヶ月間の東南アジア旅行を許してくれたんですね。いい先生にめぐり会えましたね。逆の先生もいましたよ。「1ヶ月もゼミをやすむなんて、とんでもない」というような。学生時代は、卒業後の将来をどのように思い描いていましたか。
A 大学4年時の東南アジア旅行中に「東南アジアはこれから成長していく地域なんだな」と肌で感じ、社会人になったら東南アジアでビル建設等に携わりたいと思うようになりました。当時はマレーシアのクアラルンプールは高層ビル建設ラッシュでしたし・・・。

 

※シンガポールからクアラルンプールへ向かう夜行列車の車掌さんと山下氏

 

16Q 逆に言えば、学生時代、今のような活躍を想像できましたか。
A 学生時代は起業なんてことは一度も考えたことがありませんでした。就職活動中は得体の知れない巨大なもの(実態社会)を目の前にして不安だらけでした。実は私は就職活動がうまくできなくて結構、大変な時期がありました。

 

17Q 私のような平凡な一教師・一研究者から見ると、40歳で起業を思い立つというのは、並大抵なことではないと思うのですが。いつごろから起業しようと考えていたのですか。
A 30歳の頃、コンサルティングファームで働いている最中に「もしかしたら自分でも何かできるかもしれない」と思ったのが起業のきっかけです。それから実際に起業するまでに約8年かかりました。その間、いろいろなことを勉強し、多くの同業界の人たちと出会い(結果として人脈形成につながりました)、さらには将来的に起こり得るであろうことを頭の中でシミュレーションし、それを紙に書きとめ、何度も何度も読み直し、そして書き直して、少しずつ自分の意思を固めて行きました。そのため起業までに8年もの歳月を要しました。

 

18Q 起業する場合、経営をやっていく自信が必要だと思いますが、自信は相当あったということですか。
A 私が起業したのは41歳の時でした。自分のことを誇示するのはお恥ずかしい限りですが、その頃の金融ITに関する私自身の経験や知識は、この業界でトップクラスであったと自負しています。起業がうまく行かなかったら、また一エンジニアに戻れば、食べていけないこともないという気持ちで起業した次第です。起業して7年4ヶ月が過ぎ、その間に少しずつ自信がついてきたと思っています。会社トップが行う経営は、ひとことで言うと『アイデア(業界内での競争優位性・将来性)作りとヒューマンリソースマネジメント(幹部社員とのベクトル合わせ)』の二つに尽きます。

 

19Q なるほど。山下さんのいわれるように経営者がこころすることは、『アイデア作りとヒューマンリソースマネジメント』ということですが、理論的にはその通りだと思います。しかし経営者としてそれを実践することは、大変だと思うのですが。どのようにして「業界内での競争優位性・将来性についてのアイデア」を作り出していくのですか。
A 私は起業するまでに4回も転職(5社に勤務)しました。経営に対する考え方、マーケティング戦略、技術力、商品の強みや弱み等各社ごとに千差万別です。複数の会社に勤めることで、それらの違いを知ることができ、そのお陰で「この金融IT業界のどこに手つかずのビジネスがあるのか、どこを攻めるべきなのか等々」が手にとるように分かるようになりました。そうなると自ずと「業界内での競争優位性・将来性についてのアイデア」が湧きでてくるものです。

 

20Q 続いてお聞きしたいことは、具体的に「ヒューマンリソースマネジメント(幹部社員とのベクトル合わせ)」というのはどういうことですか。
A 会社を経営していくには、将来のビジョン(会社の将来像)を明確にすることが必要です。そのビジョンの達成に向かって社員一丸となって働くわけですが、そのビジョン達成へのアプローチはいろいろとあり得ます。「幹部社員とのベクトル合わせ」とは「この会社の将来を担ってくれる社員たちとどういうルートを経由してビジョンに向かうべきなのかについてブレーンストーミングや認識合わせを継続的に行うこと」を意味しています。自分一人では何もできないですから、志を共にする仲間との協力体制作りは必須です。

 

21Q 貴重な経営上の問題点についてご意見有難うございました。さて話は飛んで、今世界は大変な危機的状況にありますが、若き経営者として、今日の世界の状況についてどのように見ておられますか。
A 1985年のプラザ合意(当時の宮沢首相の円高容認発言)から日本のバブル経済が始まり、1990年1月のゴルバチョフショックを発端としてバブル経済が終焉しました。その後、世界経済は景気回復の兆しを見せてきましたが、4年前のサブプライムショックと3年前のリーマンショック、そして今回は欧州の債務超過問題が資本主義経済の崩壊の火種になっていると感じています。この20年間は経済活動の潤滑油的存在であるべき「金融」が実態経済と遊離してゴーストのように世界を徘徊してしまい、実態経済とマネーの世界のバランスが取れていないことが先進国を中心とする世界経済の崩壊に拍車をかけていると感じています。
100年前を考えると、ちょうど産業革命がひと段落し、近代資本主義国家ができました。あれから100年しかたっていないのに資本主義(正確に言うなら「金融資本主義」)は、再編の岐路に立たされているのではないかと思います。先進国が財政赤字問題に苦しむ中、逆に途上国の経済成長率は高くなってきています。企業の経営者として私がいつも考えていることは「この危機的な状況を逆手にとるための知恵をどれだけ出せるかが会社存続(会社成長)のための鍵である」と思っております。

 

※ニューヨーク(2010年)の山下氏

 

22Q さすがですね。きちんとした自分の世界観をお持ちですね。日本の状況についてはどうですか。
A やはり800兆円を超える財政赤字、新卒者の就職率の低さ、エドュケーティッド・ピープルが英語でコミュニケーション出来ないことなど、日本の将来を極めて不安に感じています。韓国は1997年のアジアショックでIMFから支援を受けることになり、その条件として「大学の授業を英語で行う」とか「財政支出に制限を設ける」等の強制適用があったと思います。あれから十数年程で韓国は先進国の仲間入りを果たしたと思っています。
今の日本経済の規模はあまりにも大きすぎて、日本経済が破綻すると世界経済に非常に大きな打撃をあたえることになってしまうため「生かさず殺さず」の状態で向こう何十年か国家財政運営をせざるを得ないと思っています。母国の財政破綻を避けるために、日本の教育機関は「世界を相手に戦えるグローバリズム感覚を身につけた人材を育てる」必要があると思います。

 

23Q 日本の現状についての山下さんの核心をついたお考えにも感心しました。私も法政大学の教員の端くれだったので、ぜひお聞きしたのですが、世界や日本の状況を踏まえて母校である法政大学経済学部の教育のありかたについて、何かご意見があったらお聞かせ下さいませんか。
A 教育は大学から始まるものではなく、初等教育(小学校)から始まっており、大学はその学業の集大成を図るべきところだと思っております。グローバリズム感覚を身につけるためには初等教育からの改善が必要であり、同時に社会環境も変わる必要があると思っています。敢えて言いますが、皆が皆、グローバリズムを持つ必要はないと思っております。
そんな中で、法政大学経済学部としては他の六大学にない独自性を保持することが必要だと思います。例えば、大学の授業を英語で行うとか、外国の先生を客員教授として招聘するとか、学生を海外の大学に1年ほど留学させるとか、企業の行動原理を学ぶためのクラスを設置するとか、いろいろと方策はあるのではないかと思います。ただ「今年何かを実行すれば、来年から成果が出る」的は短期的スパンで考えるのではなく、10年20年単位で最終学府の教育の在り方を再考しなければならない時期だと思っています。

 

24Q おっしゃる通りです。実は、山下さんが卒業してから経済学部は多摩に移転し、そこで、山下さんがおっしゃられたような教育改革を実施してきました。しかしまだ十分ではありませんね。
さらにわが同学の学生や若い卒業生に何かアドバイスしていただけませんか。
A 将来、企業のトップになることや自ら起業をしたいと考える方は、30歳代のうちに、いろいろな勉強をすることが必要だと思います。40代になってから始めるのではなく、できるだけ若いうちにビジネス世界で戦うための武器を身につけるべきです。例えば、英会話、簿記会計、商法(会社法)、金融、税法、IT(情報処理技術)などなど。学ぶべきこと、身につける武器は、自分が目指す20年後・30年後の将来像が何であるか、企業家なのか、国内大企業の幹部なのか、外資系企業の幹部なのかで、千差万別だと思っています。いずれにせよ、ビジネスパーソンとして成功するには、不断の努力と自分をサポートしてくれるメンターの存在は不可欠だと思っています。

 

25Q なるほど。これは素晴らしいアドバイスです。若い人たちには、このアドバイスは大いに役立ちそうですね。企業家という人たちを見ていきますと、努力家であるとか野心家であるとかはもちろんですが、趣味人である人も多いですね。御社のインターネットWebサイトを拝見すると、社長のプロフィールに趣味はワイン、将来はワイン醸造家を目指したいと書かれておりましたが、何故、ワインに嵌まったのでしょうか。
A 私がワインに関心を持ち始めたのは、2000年のころでした。ちょうどその頃に勤務していた会社の先輩が、アメリカの大学のMBA保持者でカリフォルニアワインに詳しいナイス・ガイでした。その先輩と半年程、仕事をご一緒させていただく中で「いつか自分もあの先輩のように仕事もでき、かつワインにも詳しくなりたい」と思うようになりました。最初の3年間は独学でワインの本を読みあさりましたが、学生時代の知り合いの女性と十数年ぶりに再会したところ、彼女はシニア・ソムリエールになっており「山下君もワインが好きなら、きちんとワインスクールに通うべきだよ」と諭されました。その後、半年ほどスクールに通い幸運にも資格を取得することができました。
ワインスクール通いから5年ほど過ぎ、その間にワインの伝統国であるフランスのボルドーやブルゴーニュそれにローヌやアルザス、イタリアのピエモンテやトスカーナ、スペインやドイツのワインをテイスティングしました。それに加えて近年はニューワールドであるカリフォルニア(ナパバレー、ソノマ)、オレゴン、オーストラリア、ニュージランド等さまざまな国のワインに出逢ってきました。
ワインの味わいは、その産地の気候・地形・日照具合・土壌(肥沃か否か、水はけの良さ等)、それに作り手の技術など様々な要素が微妙に絡み合って、複雑な味わいを醸し出しているのです。ワインを知ることで世界がとても身近な存在になったと思っています。

 

26Q ワインの趣味が昂じてぶどう栽培までいっちゃうんですか?しかも趣味が昂じて将来はワイン醸造業の経営まで考えているんでしょう。
A 起業以降、経営トップとして金融IT関連の会社経営に全身全霊をささげてきたと自負しています。これからの人生(第2の人生)では、全く畑違いのことにチャレンジしたいと考えております。ワインサービスのプロ(ソムリエ、ソムリエール)は世の中に大勢いますが、ワイン醸造のプロはそんなにはいない筈です。私は、他人がやらないことをやってみるのが、自分のヒューマンネーチャーであると思っており、「学生時代に東南アジアの国々を見て社会人になったら途上国でビル建設等に携わりたい」と前述しましたが、目に見えて形に残るものを作りたいという気持ちが私の根底にあるのだと思います。

 

※自宅で栽培している葡萄(マスカット)

 

27Q そのほかの趣味というと、読書好きであると御社のインターネットWebサイトに書かれていましたが、いつもどんな本を読んでおられるんですか。立派な経営者というのは読書家が多いですね。読書が経営に役立つということですか。
A 私がこれまでに読んできた本は、年代によって様々でした。20代の時は数理統計・簿記会計・金融(初歩)関連の本が多く、30代は金融(上級)・IT系の書籍がメインでした。起業後(40代)は、日本の古典芸能、芸術(美術・彫刻)、ワイン・シャンパン、車、ファッション、本田宗一郎さんや松下幸之助さんの著書、成功者本(ビジネスに成功した若手起業家の方々が書かれた本)、ラテラルシンキングやクリティカルシンキング、日本のマナーに関する書籍、それに慶応大学の創始者の福沢諭吉先生の「学問のすすめ」など多岐にわたります。この数年は年間で300冊程は読んできたと思います。
最近は、若い世代を中心に読書離れが進み、インターネットで情報を得るという傾向がより一層強くなってきていると思います。企業経営を行う立場としては、ある事象(例えばトラブルへの対応や経営の意思決定)に出くわした際、何らかのジャッジを下さなくてはなりません。そのためには、企業経営者としての先達の書籍はとても役に立ちます。また経営者は日頃から自分自身のメンタルポジション(精神状態)をうまくコントロールしなくてはなりません。仕事でトラブルが続き自分の気持ちが折れそうな(萎えそうな)時は、読書をすることでポジティブな気持ちを取り返すことができます。

 

28Q 山下さんの読書量には驚かされますね。趣味の話だけ聞いていても、山下さんの人物のスケールの大きさというか、懐の深さに大変感心しました。
ところでウエッブで山下さんの会社のインターネットWebサイトを見ると、社長の経歴に法政大学経済学部卒業と書いてあります。学者でも法政大学出身なのに、そう書かない学者もいます。私は、自分の本の奥付の略歴には、法政大学社会学部2部の卒業生なので、あえて2部卒業を勲章と思って必ずそれを明記しています。山下さんも堂々と法政大学経済学部出身を名乗っていることに感動しました。
山下さんは、法政の出身ということをどのように思っていますか。
A、実は私も会社設立当初は自社のWebサイトに自らの出身大学名を記していませんでした。一般的に大手企業の経営者は、東大・早稲田・慶応などの一流大学出身の方が多いため、正直なところ、私はとてもコンプレックスを感じていました。起業して4年位が過ぎ、事業が軌道に乗ってきた頃から「経営の巧拙は出身大学で決まるものではない」と思えるようになり、徐々に出身大学に関するコンプレックスがなくなりました。今では「自分の出身大学が法政大学である」と堂々と口にすることができます。

 

29Q 法政人としては、大変心強い発言です。この言葉だけでも、今回のインタビューの価値が十分ありますよ。このたび経済学部同窓会に注目していただき、入会までしていただいたのですが、同窓会について何かご意見があったら教えて下さい。
A、大学を卒業して26年が過ぎ、ようやく同窓会に入会させていただくことになりました。そのため、私は同窓会の目的や将来の方向性について今のところ全く未知の状態であります。でも折角ですから、活気のある会に変化を遂げて欲しいですし、私で出来ることなら、何かのお役に立ちたいと思っております。

 

30Q 同窓会にとって、これもとても有難いお話で感激いたしました。今後、同窓会への協力をお願いします。
ややありきたりな質問ですが、卒サラを考えて起業したいと考えている法政大学の後輩たちに何かアドバイスしていただけたら、お願いしたいです。
A、卒サラをするためには、前もってきちんと自分のアドバンテージ(自己分析と得意分野)を見定めることが大切であり、そして将来的な計画(事業計画書的なもの)を論理的かつディテールにまとめ、その記載内容をクリティカルに評価してくれるメンターを持つことが起業するための秘訣だと思います。たぶん起業はそれなりにうまくできると思います。大変なのは、起業した会社を成長・拡大させることです。もしその辺でお困りの方がおられましたら、是非、私に直接ご連絡ください。

 

31Q 最後にこれまでサラリーマン生活と企業家としての活動を振り返って、経営者の理念とか哲学といったものを何か感じたり、確信したりした点があったらお話下さい。
A サラリーマンであり続けることを望むか、大企業の幹部になることを望むか、それとも起業して自分の力を試してみるか、その気があれば(本気であれば)、道は開けると思います。でも、本当にそうしたいか否かは、自分の人生観次第であると思います。わずか70年とか80年という自分の人生をどんな風にまっとうしたいかについて考えることが大切なことだと思っております。「確たる人生観」を持つことなく、ビジネスパーソンとしての成功はあり得ないと信じています。

 

32Q 本日はお忙しい折、インタビューに応じていただき、興味深いお話を長時間にわたってお話しいただいて、本当に有難うございました。山下さんの今後のいっそうの活躍を期待しています。