有沢ゼミの思いで

有沢ゼミの思いでについて

椎名鉄雄(1960年3月、経済学部経済学科卒業)


(有沢廣巳先生は、著名な経済学者、統計学者であり、大内兵衛法政大学総長辞任のあと、東大経済学部教授を退官し、1959年4月から1962年9月まで法政大学総長を務められ、その間経済学部教授として学生を指導された。法政大学を退職後は、日本の経済政策に関与し、大きな業績を残された。編集部の注。)
私は、昭和33年4月に、幸運にも有沢ゼミの最後のゼミ生になることが出来た。先生は、東大を定年退職後大内総長の後を継がれて法政の総長に就任された。そして、総長を兼務しながら経済学部の有沢ゼミナールの指導をされた。先生は、公務多忙であったので、ゼミの指導については、教え子の東大の中村隆英先生が代わりに来られる時もあった。
ゼミは非常にユニークで各人の研究テーマは自由であった。私はかねてから関心を持つていた農業問題をテーマに選んだ。先生からは実証的な研究の重要性を学ぶことができた。
東北大学で行なわれた全国の大学ゼミナール大会で、有沢ゼミが発表した「日本経済の景気の現状分析について」は、先生からお褒めの言葉を頂いた。
卒業時の就職試験に当たって、私たちは先生の杉並のご自宅に一人ひとり呼ばれて先生から丁寧な推薦状と励ましの言葉を頂いた。卒業してからも先生からのお話で、毎年何回かの勉強会をさせていただいた。経済白書の勉強会には先生のご縁で、当時の経済企画庁の向坂正雄課長に参加していただいたこともあつた。勉強会の後の食事会の時などに、先生から今取り組んでいる研究のお話を聞かせてくださることもあった。
いろいろなお話の中の一つとして記憶に残っていることは、先生は当時70歳を過ぎてからも公務多忙の中、夜間に、ワイマール共和国の崩壊をテーマに資料、メモ等の整理・検証をしているとのお話があった。77歳頃までには纏めたいと言われていたが、実際に発表された時には81才になっていた。こうした学問に対する先生の真摯な姿勢は私達に大きな刺激となった。
1977年に発表された先生の最後の著作『ワイマール共和国物語』上下は、921ぺージの労作で、先生の歴史観と、平和を求める熱い心、そして民主主義を破壊したナチス・ヒトラーを憎む思いの篭った名著といわれている。私たちの卒業アルバムの冒頭の先生の言葉は「平和を希う心、国を愛する心」となっている、これは先生から私たちへの最後のメッセージと考えられる。
有沢ゼミ有志メンバーは、先生がお亡くなりになられてからも幹事持ち回りで年一回懇親会を開いている。時には勉強会を兼ねることもある。メンバーは80歳を過ぎて減少傾向にあるが、元気なうちは「会」を続けようと思っている。

「有沢先生の75歳のおり開かれた有沢ゼミ同窓会(1971年2月)の写真。日本 統計研究所にて」
「有沢先生の75歳のおり開かれた有沢ゼミ同窓会(1971年2月)の写真。日本統計研究所にて」