第 28 回 (2020年) 受 賞 者
A賞 酒井正『日本のセーフティーネット格差労働市場の変容と社会保健』(2020年、慶応義塾大学出版会)

第29回森嘉兵衛賞について

森嘉兵衛賞審査委員会は、本年度に推薦された酒井正『日本のセーフティーネット格差労働市場の変容と社会保健』(2020年2月、慶応義塾大学出版会、2700円)について慎重に審査した結果、今年度の森嘉兵衛賞(A賞)とすることを決定した。

本書の酒井正『日本のセーフティーネット格差労働市場の変容と社会保健』は、「現代の日本が直面する社会保障の問題を『就業形態』を切り口としてまとめたものであり」、その問題の中心を社会保険の格差がセーフティーネットの格差ともなっていることを剔抉し、社会保険の綻びとなっていることを証明し、かつその解決の方向を示した労作である。

本書の評価は、大手各紙が書評で紹介しているだけでなく、権威ある三つの学術賞、サントリー学芸賞、労働関係図書優秀賞、日経・経済図書文化賞を受賞していることで十二分に示されており、本書の著者酒井正教授を法政大学経済学部創立100周年に当たる今年度に讃えられることは大いに喜ばしいことである。

2021年3月末日

森嘉兵衛賞審査委員会
委員長 鈴木豊(経済学部長)
委員 主査 村串仁三郎(経済学部同窓会、法政大学名誉教授)
杉本龍勇(経済学部教授)
竹口圭輔(経済学部教授)
嶋崇(経済学部同窓会、雑誌編集者)

講評:酒井正『日本のセーフティーネット格差労働市場の変容と社会保障』 についてー村串仁三郎(経済学部同窓会、法政大学名誉教授)

経済学部の酒井正教授は、現代の日本が直面する社会保障について調査・研究を重ねてこられた気鋭の研究者である。

『日本のセーフティーネット格差労働市場の変容と社会保健』は、そうしたキャリアから得られた知見を基礎に、わが国の社会保険の構造を分析し、『就業形態』を切り口として、被保険者の正規雇用者と非正規雇用者という就業格差が、社会保険の格差を生み出し、セーフティーネットの格差ともなっている実態を剔抉し、社会保険の綻びとなっていることを証明し、かつその解決の方向を解明している労作である。

しかも本書は、学術的な研究でありながら、平易な記述がなされており、学生を含め一般人にも呼び掛け、わが国の現代の社会保障について考えるべき素材を提供している優れた研究書である。

本書の構成は以下の通りである。

序 章 日本の労働市場と社会保健制度との関係

第1章 雇用の流動化が社会保険料に突き付ける課題①

    ―社会保険の未納問題―

第2章 雇用の流動化が社会保険に突き付ける課題②

    ―雇用保険の受給実態

第3章 セーフティーネットとしての両立支援策

第4章 高齢者の就業と社会保険

第5章 社会保険料の「事業者負担」の本当のコスト

第6章 若年層のセーフティーネットを考える

    ―就労支援はセーフティーネットになりうるか―

第7章 政策のあり方を巡って

    ―EBPMは社会保障政策にとって有効か

終 章 セーフティーネット機能を維持するために

序章は、本書の課題であるわが国の労働市場と社会保障制度の関係を示し、わが国の雇用慣行の中心であった正規雇用に非正規雇用の比率が増大し、そのことが社会保障制度に「軋み」を生み出していることを明らかにし、本書の概論としている。

第1章は、日本的雇用の流動化・非正規雇用の増大化が、長期的雇用関係を前提にして成立していた「皆保険」であるべき社会保険において、そもそも厚生年金と国民年金、主として健康保険組合と国民健康保険という2層の社会保険が、おもに自営業者の大幅減少と雇用者層の増加、そして非正規雇用の増大が、国民年金で3割、国民健康保険で2割の未納現象を生み出しているす仕組みとしてを解明し、セーフティーネットから排除されるかなりの層を生みだし、セーフティーネットに大きな格差を生み出している実態を解説している。

そして政策の対応が未納問題の解決にいたっていないことを明らかにしている。                                                      

第2章は、雇用保険制度について、第1章で析出された構造的な問題が存在することを解明し、特に雇用保険が「セーフティーネットの綻び」を生んでいると指摘する。

第3章は、保育を支援し、仕事と育児の両立を図る「両立支援策」について分析し、ここでも「両立支援策」の受益者に雇用形態における偏りが見られ、セーフティーネットの格差を検証している。

第4章は、少子化対策としての高齢者の就業の実態を分析しつつ、高齢者の就業が労働災害を生み出し実情を分析し、家族介護と介護離職の関連を論じ、ここでもセーフティーネットの格差が示される。

第5章は、社会保険料の「事業者負担」問題を論じたもので、社会保険料の「事業者負担」の増加が、雇用者に転嫁される仕組みを論じている。

第6章は、若年層のセーフティーネットを就労支援の面から論じたものであるが、まず若者層の失業に着目し、不況期の最初の就職が好況期の場合とくらべ不安定であり、若年期に不況を経験した世代はその後も不安定な雇用に停滞する傾向を検出する。

この若年期の不安定な雇用と非正規雇用が若年層に多いというこの世代間格差を埋めるべく若年向けの雇用対策が立てられるが、その一つである就業に必要な「就労支援」を取り上げるが、主に若年期に一度就職で躓きその後も不利な状況におかれている層には現状の職業訓練も有効性は少ないとみている。

第7章は、直接社会保険の問題ではなく、政策のあり方を巡る議論で、主に「客観的な根拠(エビデンス)に基づく政策形成」の問題を詳細に論じている。社会保障の政策決定過程におけるエビデンスの役割と当事者間の利害調整、あるいは野党やマスコミ、研究結果を審査の採用を考慮してしまう研究者の「出版バイアス」など多面的な関連を分析し、エビデンスのリテェラシー(読解力)を高める必要性を説いている。

終章は、これまでの論議を総括しつつ、社会保険制度が「セーフティーネット機能を維持するために」と題し、本来あるべき社会保障制度のためにどのようにその格差を解消していくべきかについて筆者なりの提言を述べている。

評者の講評で本書の主張を十分に表現しえていないが、本書の社会的評価は、多くの大手マスコミで本書が紹介されていると同時に、権威ある三つの学術賞、第42回サントリー学芸賞、第43回労働関係図書優秀賞、第63回日経・経済図書文化賞を受賞していることで十二分に示されている。

村串仁三郎(経済学部同窓会、法政大学名誉教授)

著者略歴:酒井正

略歴
<学歴>
1976年 東京都目黒区生まれ
1995年 都立戸山高校卒業
2000年 慶應義塾大学商学部卒業
2005年 同大学大学院商学研究科後期博士課程単位取得退学
2008年 博士(商学)取得
<職歴>
2005年 国立社会保障・人口問題研究所研究員就任
2009年 全米経済研究所(NBER-NY)客員研究員(-2010年)
2012年 国立社会保障・人口問題研究所室長(-2014年)
2014年 法政大学経済学部教授就任
現在に至る
<政府委員>
2017年 厚生労働省 労働政策審議会 職業安定分科会 雇用対策基本問題部会 臨時委員(―現在)