「自然保護の砦としての国立公園」 ―近著『高成長期日本の国立公園』について語る―
村串仁三郎(法政大学名誉教授)

 

「自然保護の砦としての国立公園」 ―近著『高成長期日本の国立公園』について語る―

 

昨年10月、80歳を迎え、傘寿の記念にと本書の出版を計画したが、本年5月になってようやく出版の運びとなった。
国立公園とは、貴重な自然を、国民の利用に供しながらも大切に保護して後世に残し伝えていこうとする制度である。こうした制度に私が、関心をもって研究するようになってから20年が過ぎた。私の研究生活の最後の3分の1を費やしてこの国立公園の研究を行ってきたが、その動機は、30年前にイギリス留学の際、イギリス人が経済不況の最中にも楽しく遊ぶ姿を見て、これまで労働を研究していたのだが、労働の反対の遊び・レジャーについて研究したくなったからである。イギリス人のレジャーの最大の種目が、何とウォーキングなのであった。
イギリス人は、土日やホリデーに国立公園に行っては、ウォーキングを楽しんでいる。ロンドンなどには、どこを見てもゴミだらけで、大いにカルチャーショックを受けたのだが、カントリーサイドの国立公園に行くと、綺麗に整備され、ゴミを発見することがない。人々は、友人や家族、恋人同士で主に自動車でカントリーサイド(郊外)に出かけるのだが、ポットにお湯を入れ、空気と景色のいいところでお茶にする。安上がりにして実に健康なレジャーである。
そうした場が主に国立公園であった。私は、イギリスの国立公園研究に熱中した。イギリスは、18世紀末から19世紀全般にかけて産業革命を行い、世界の工場として世界に君臨したが、工業化は、大都市を作る代わりに、大都市を環境の悪い人の住めない場に変えてしまった。
そこで、経営者も一般の労働者も、綺麗な空気と森や風景などに癒しを求めてカントリーサイドに押し掛けた。といっても、イギリスの産業革命は、貴重な森を切り自然を大々的に破壊して成し遂げられたので、イギリス国民は、わずかに残された自然を保護しつつ、カントリーサイドで楽しんだ。その自然保護運動が、国立公園設立運動であり、ナショナルトラスト運動であった。イギリスの国立公園設立は、戦後であったが。
アメリカでも事情は同じで、大自然が西部開拓で大幅に失われ、産業革命もまた森を破壊し、19世紀には貴重な自然は、ごくわずかな僻地にしか残っていなかった。慌てたアメリカ人は、1872年に イエローストーンを国立公園に指定して、以後、多くの名勝地と貴重な自然を国立公園という制度にして、自らそこに遊びつつ、これ以上の開発を抑えて、後世の子孫に残すことにしたのである。
私は、帰国後、日本の国立公園はどうなっているか、という素朴な疑問から発して、日本でどのようにして国立公園が作られるようになったのかについて研究した。
ほぼ10年をかけて日本の国立公園成立史を研究し、意外にも日本の国立公園設立運動は、明治末年から始まり、一方では、学者文化人、高級官僚、地域住民が、開発により破壊されていく各地の貴重な風景、名勝地、自然を保護するために国立公園を設立しようと運動であったことが明らかになった。他方では、国立公園というお墨付きを地元の名勝地につけて、観光振興という地域開発をおこなう地元住民、観光業界、観光を目指す諸官庁による国立公園設立運動でもあった。
結局、日本の国立公園法は、1936(昭和6)年に制定され、1935年までに、富士箱根、日光、中部山岳(立山、上高地を含む)、阿寒、大雪山、十和田、吉野熊野、大山、雲仙、阿蘇、霧島の10地域が国立公園として指定された。日本の国立公園は戦前に制定されて、イギリスの国立公園が戦後制定されたのと比べて、意外に早い。これは後進国日本にとっては驚きである。そうした研究の成果は、日本で初めてまとまった研究である拙著『国立公園成立の研究』(法政大学出版局、2000年)である。
国立公園制度は、戦前に制定されて先進的であったが、しかしその実態は、あまり褒められたものではなかった。制度は作ったが、予算も人もほとんどなかった。それでもひとたび作られた制度は、自然保護を重視する学者文化人、地域住民、あるいは諸官庁の官僚たちによって、自然破壊をもたらす開発計画への大きな砦の役割を果たした。
今、中部山岳国立公園内の上高地が残っているのは、戦前、戦後2回の電源開発計画のために上高地をダム化し水没させる計画を国民的な反対運動で中止させた結果である。
国民的に親しまれている尾瀬も、戦前、戦後たびたび電源開発計画によって尾瀬ヶ原のダム化が企てられたが、国民的な反対運動で中止させた結果、尾瀬ヶ原は、水没を免れていまも貴重な自然を残している。
こうした戦後の自然保護のための国立公園についての研究が拙著『自然保護と戦後日本の国立公園』(時潮社、2006年、)である。
今回出版したのは、『高度成長期日本の国立公園』(時潮社、2006年)である。
高度成長期は、環境悪化、大規模自然破壊の時代であり、国立公園も観光開発のために破壊の脅威にさらされ、政府の報告書類でもその行き過ぎが指摘されたほどである。
本書は、高度成長期に貧しい予算と人員の中で、どのように国立公園制度が運営され、自然破壊を伴う観光開発計画を阻止してきたか、実際は多くの開発計画が実行されて、自然破壊が進んだかを解明している。
国立公園研究のこの3部作は、史上初めて国立公園制度の弱点、実際に国立公園の自然を守る運動を体系的に究明したもので、これまで誰も果たせなかった大研究である。自然然を愛する人たちにぜひ読んでもらいと願っている。
本書の内容を詳しく紹介する余裕がないので目次だけ示しておきたい。

『高度成長期 日本の国立公園 ―自然保護と開発の激突を中心に―』

第1部 高度成長期における国立公園
第1章 高度成長期における国立公園制度の基本的枠組
自然公園法体制の成立、高度成長期下の国立公園制度を規定した政府の社会経済政策
第2章 高度成長期における貧弱な国立公園行政管理機構
第3章 高度成長期における貧弱な国立公園財政
わが国の貧弱な国立公園財政の確認、高度成長期における国立公園財政の構造
第4章 高度成長期における国立公園の過剰利用とその弊害
国立公園の観光化と国立公園利用のためのインフラ整備 国立公園の過剰利用とその弊害 日光、富士箱根2大国立公園の過剰利用とその弊害
第5章 高度成長期における国立公園当局による自然保護政策の展開
第6章 高度成長期における新設環境庁の国立公園政策
第2部 高度成長期の国立公園内の自然保護と開発の激突
第7章 日光国立公園内の館開発計画と新保護運動
日光道路拡幅・太郎杉伐採計画と反対運動 尾瀬縦貫観光有料道路計画と反対運動
第8章 中部山岳国立公園内の開発計画反対運動と自然保護運動
西穂・上高地ロープウエイ建設計画と反対運動 上高地観光有料道路計画と反対論
第9章 北海道国立公園内の観光道路・オリンピック施設開発計画と自然保護運動
大雪山の観光道路建設計画と反対運動 恵庭岳格好コース開発計画と自然保護運動
第10章 富士箱根国立公園内の観光開発計画と自然保護運動
富士スバルライン建設計画 富士山鉄道建設計画と反対運動
第11章 南アルプス国立公園内のスパー林道建設計画と自然保護運動
第12章 他の国立公園内における開発計画と自然保護運動
苗場スキー場建設計画 妙高高原観光道路建設計画 月山スカイライン建設計画 大台ケ原観光有料道路建設計画などと自然保護運動

(同窓会Webサイト編集部より)
村串名誉教授の『高成長期日本の国立公園』は時潮社のサイトから直接お求めになる事が出来ます。(※写真をクリック)

『高度成長期 日本の国立公園 ―自然保護と開発の激突を中心に―』(村串仁三郎,2015,時潮社,定価3,500円、税別)
『高度成長期 日本の国立公園 ―自然保護と開発の激突を中心に―』(村串仁三郎,2015,時潮社,定価3,500円、税別)

 

 

 

村串仁三郎(法政大学名誉教授) 著者略歴
1935年 東京生まれ
1958年3月 法政大学社会学部(2部)卒
1969年3月 法政大学大学院経済学専攻博士課程満期退学(1982年経済学博士取得)
1969年4月 法政大学経済学部特別助手就任、翌年専任講師
1980年4月 同 教授
2006年3月 同 退職(以後、法政大学名誉教授)
専攻 労働理論、鉱山労働史、国立公園史