第 27 回 (2019年) 受 賞 者
A賞 郭洋春『国家戦略特区の正体―外資に売られる日本』(2016年、集英社)

第27回森嘉兵衛賞について

森嘉兵衛賞審査委員会は、今年度に応募があった郭洋春『国家戦略特区の正体―外資に売られる日本』(集英社、2016年、720円)について慎重に審査した結果、本書を本年度の森嘉兵衛賞のA賞とすることを決定した。
郭洋春『国家戦略特区の正体』は、アベノミックスの一分野をなす、安倍内閣の展開する国家戦略特区を批判的に検討したもので、本来経済発展途上国で展開されるべき国家戦略特区政策を、先進国たる日本で、もっぱらこれまで実施されてきたわが国の保護的な経済政策を、不要な規制として批判し、利潤肥大化のために規制を解除する政策であると指弾する。
本書は、新書版という形式をとっているが、『現代アジア経済学』、『開発経済学』などの自著によるアジア経済についての実証的かつ理論的な研究にささえられた優れたアベノミクス批判となっている労作である。もとよりアベノミックスの評価は賛否分かれるところではあるが、本書は、アベノミックス批判の一つの見識として十分に評価できると言えよう。

2019年3月末日

森嘉兵衛賞審査委員会
委員長 鈴木豊(経済学部長、教授)
委員 主査 村串仁三郎(法政大学名誉教授)
宮﨑憲治(経済学部教授)
石井英朗(東日本国際大学名誉教授)
嶋崇(雑誌編集者)

講評:郭洋春『国家戦略特区の正体―外資に売られる日本』について ー村串仁三郎(法政大学名誉教授)

郭洋春『国家戦略特区の正体―外資に売られる日本』の構成は以下の通りである。
はじめに
第1章 「国家戦略特区」とはなにか
第2章 「国家戦略特区」が生む理不尽
第3章 アジアの「特区」でなにが起きたか
第4章 「国家戦略特区」は日本の破滅を招く
あとがき
「はじめに」で著者が語っているように本書は、2014年から安倍晋三政権がトップダウンで指定する「国家戦略特区」への根本的疑問を投げかけたものである。
第1章は、「『国家戦略特区』とはなにか」について論じている。
本章で著者は、『国家戦略特区』は、第2次安倍政権がアベノミクスと呼ば
れる経済政策、第1の矢・大胆な金融政策、第2の矢・機動的な財政政策、第
3の矢・民間投資を喚起する成長政策のうちの、第3の矢の具体策の一として
「規制緩和等によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会」の創出
を目指す政策として展開された、と指摘する。
著者は、「特別経済区」の歴史、安倍政権以前の「特別経済区」類似の政策を
を振り返り、『国家戦略特区』が本来の開発途上国が外資を誘致して工業化をはかる「特別経済区」と異質な、これまで先進国日本が充実させてきた社会保障・福祉政策を、規制緩和によって修正する新自由主義政策に他ならないと指摘する。
そして2012年以降に実施される『国家戦略特区構想』の現状を紹介している。その『国家戦略特区構想』の特徴を示せば、それ以前の「特別経済区」と違って、政府のトップダウンによって策定された規制緩和メニューを、わが国のGNPの5割に及ぶ先進的な地域に指定するというものである。
要するに『国家戦略特区構想』は、これまで19世紀末以来諸国民が作り上げてきた国民生活を向上させるための医療、農業、教育、教育制度を、いわゆる『岩盤規制』と名付けて、巨大資本による最大の利益を追求するため「世界で一番ビジネスがしやすい環境を作り上げようとする政策」にほかならないとみなす。
第2章は、「『国家戦略特区』が生む理不尽」と題し、以下のように指摘する。
『国家戦略特区』は、「特別経済区」と同じように外資導入を目的とするが、先進国ではそうした外資導入を目的した特区は存在しない。そうした政策は、アベノミクスの第2ステージの「新たな3本の矢」の政策に対応するもので、日本の人口減少・国内市場の縮小に抗して外資を誘導する。
また『国家戦略特区』は、『岩盤規制』解放に加えTPPにより課税を撤廃し外資導入体制を築き(もっともアメリカの離脱で、この点の指摘は一部的はずれとなっているが)、アメリカン・スタンダードが支配し、教育、医療・社会保障制度を金持ち優遇の社会制度への転換を図る。
さらに『国家戦略特区』は、区域外から区域内への人材・物資・資本の移動を促進し、区域内の企業に関税・法人税の減免など優遇措置をおこない、区域外の企業との格差を拡大し、区域外の地域の過疎化、疲弊化を促進し、区域内の格差さえ生じさせ、日本の地域格差を拡大させる。
とくに『国家戦略特区』は、これまで日本の労働者保護を行ってきた一連の労働保護立法を既得権益として敵視し、働き方改革と称して規制解除を目指し、労働立法を改悪し発展途上国並みの労働環境を築きつつある。
また農業分野についても、規制緩和策により「農業の大規模化」が追及され、日本型小農経営を無視し日本の農業を破滅させようとしている。
第3章は、「アジアの『特区』でなにがおきたか」と題し、韓国を中心的に考察し、中国、カンボジア、ベトナム、タイにも触れ、特区が十分に成功していないと批判する。
第4章は、「『国家戦略特区』は日本の破滅を招く」は、『国家戦略特区』の実態を総括して、その否定的側面を指摘し、アベノミクスを批判する。
第1の批判点は、国家戦略特区構想は、どこまで本気か疑わしいということ。この構想はあいまいさが多く、特区の現場では構想が進展していない。それは、「まず『岩盤規制』の緩和ありき」であり、本当に外資導入促進になっていないということである。
第2の批判点は、最終的な区域計画の策定が、国家戦略特区諮問会議によって決定され、その中心的存在であるワーキンググル―プがもっぱら民間人で占められ、ワーキンググル―プによるヒアリングが一部の偏った有識者によって行われ、トップダウンで行われ、民主的な運営が回避されて、国会議員が関与しない無責任な体制となっているということである。
第3の批判点は、国家戦略特区構想は日本経済の方向性を誤まらせていることである。要は、政治あるいは経済政策の目指すのは「国民ひとりひとりの豊かさ」であって、「世界で一番ビジネスがしやすい環境」づくりではない。
例えば、日本の農業が抱えている問題性は、コストダウンと効率化を目指す「農業の大規模化」によって解決するという誤った認識に立っている。無農薬、有機農業、ブランド農産物、遺伝子組み換え規制農産物などは、特区とは関係なしに非大規模農業の可能性も高い。
著者の批判は、まだ多々あるが、詳しい紹介は割愛する。
本書は、以上のように、規制を不要とする新自由主義思想に基づく日本経済の再生を目指すアベノミクスの中心的政策たる国家戦略特区構想が、「国民ひとりひとりの豊かさ」を目指すものではなく、一部の富裕層、巨大大企業、巨大多国籍企業などの利潤極大化を目指す政策であり、労働者の労働基本権を奪い、国民の格差拡大を生む誤った経済政策であると批判する。
もとより、政府の経済政策の評価は、評者の立場によって賛否の分かれるものであり、いずれが正しいかを判定することが難しい問題である。本書は、アベノミクスに対して理論的実証的に批判を試みた一つの見識として評価できる。
因みに本書の著者、郭洋春氏は、法政大学経済学部で南克己教授のもとで経済学(資本論)を学び、立教大学大学院では、主にアジアにおける開発経済を学び、現在は立教大学経済学部教授であり、立教大学総長でもある。

村串仁三郎(法政大学名誉教授)

著者略歴:郭洋春氏

学歴
1959年、千葉県生まれ
1983年、法政大学経済学部卒業
1988年、立教大学大学院経済学科博士課程単位取得満期退学
1994年、立教大学経済学部助教授
2001年、同経済学部教授
2009年、同大経済学部学部長―15年まで
2018年、同大学総長、現在に至る

専攻 開発経済学
主著
『アジア経済論』中央経済社、1998年
『韓国経済の実相』柘植書房、1999年
『開発経済学―平和のための経済学』法律文化社、2010年
『現代アジア経済論』法律文化社、2011年
『TPPすぐそこに迫る亡国の罠』三交社、2013年
『国家戦略特区の正体』集英社、2016年
編著、論文多数