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法政大学経済学部同窓会森嘉兵衛賞>第20回B賞
森嘉兵衛賞

第 20 回 (2012年) 受 賞 者
B賞早川 征一郎『イギリスの炭鉱争議(1984〜85年)』(お茶の水書房、2010年)

著者略歴
早川征一郎氏 早川 征一郎(はやかわ・しょういちろう)
 1938年 新潟県生まれ
 1966年 法政大学経済学部卒
 1966年 東京大学大学院経済学研究科修士課程入学
 1968年 同課程修了
 1968年 東京大学社会科学研究所助手
 1972年 同所退職
 1972年 法政大学大原社会問題研究所員
 1997〜2003年、大原社会問題研究所長
 2009年 同所定年退職、法政大学名誉教授

主要著書
 『国・地方自治体の非常勤職員』(1994年、自治体研究社)
 『国家公務員の昇進・キャリア形成」(1997年、日本評論社)
 共著『国鉄労働組合―歴史、現状と課題』(1993年、日本評論社)

講評
『イギリスの炭鉱争議(1984〜85年)』  本年度の森嘉兵衛賞特別賞に決定されたのは、早川征一郎著『イギリスの炭鉱争議(1984〜85年)』(お茶の水書房、2010年10月)である。
 早川征一郎氏は、新潟で高校卒業後、郵便局に勤務し、1961年末に上京しさらに郵便局に勤務しながら、1962年に法政大学経済学部に入学し、勤労の中で卒業した。その後1966年に東京大学大学院経済学研究科修士課程に入って修了し、1968年に東京大学社会科学研究所の助手をつとめ、1972年に法政大学大原社会問題研究所員となり、1997年から2003年まで同所長を歴任し、去る2009年に定年退職した根っからの法政人の逸材の一人である。
 早川氏の専攻された研究課題は、労働問題とくに郵便局勤務の経験もあってか、公務員の労働問題であった。これまでの早川氏の研究は、『国・地方自治体の非常勤職員』(1994年、自治体研究社)、『国家公務員の昇進・キャリア形成』(1997年、日本評論社)など、また『国鉄労働組合−歴史、現状と課題』(1993年、日本評論社)など多数の共著により斯界でよく知られた存在である。
 受賞の本書は、これまでの氏の研究キャリアからは異色のものであるが、本書作成のきっかけは、早川氏が、1984年4月から1985年9月までイギリスに留学し、そこで1984年から1985年までにイギリスで展開された炭鉱夫のストライキを見聞し、さらにそれを記録(「イギリスの炭鉱争議(1)〜(9)」大原社研の雑誌掲載)してきたことである。
 早川氏は、定年退職後に新たな研究を踏まえ以前の論稿を改善して新たな論稿を加えて本書として公刊したのである。

 本書の内容は、3部構成をなし、第1部は、イギリス全土を震撼させた炭鉱夫の1年にわたる大争議の発生する前段、保守党政府が当時国有化していた炭鉱を民営化し、イギリスでも最も左翼的なNUM(全国炭鉱夫労働組合)を、如何に解体に追い込み、英国病の根源と見ていたこれまでの炭鉱労使関係を根本からひっくり返そうとしていた、サッチャーの政策を明らかにしている。
 第2部は、イギリスの炭鉱争議について、発生、展開、終焉のプロセスを簡潔かつ客観的に記述している。この記述は、筆者の早川氏の立場が、ミリタントで左翼的なNUMに同調的であるにも拘わらず、イギリスの炭鉱争議の抱えていた矛盾、NUM主流に対する批判勢力、あるいはNUMの全国的ストライキを全組合員の投票にかけずに、執行部の専断で実行したという問題点、あるいはイギリスの労働組合連合組織のTUC(労働組合会議)や労働党首脳部との対立などについても、はっきり描き出し、結局、争議が、壮大な敗北の終わったことを明らかにしている。
 第3部は、炭鉱争議後のイギリスの炭鉱業のたどった経過と争議の位置づけをおこなっている。炭鉱争議後の経過については、争議敗北後にNUM勢力が、NUMに反対する政府に協調的なNDM(民主的炭鉱労働組合)の出現や反NUM勢力のサッチャーの政策が実って、急速に力を衰退させていく過程を明らかにしている。また1993年に炭鉱の民営化が実施され、炭鉱業自体が、“スクラップ・アンド・ビルド”政策で、衰退し、事実上炭鉱業が消滅し、争議の主体だったNUMが解体していく過程を明らかにしている。さらに争議の位地づけについては、エピローグ「イギリス石炭産業=その後とおよび展望」を置いて、本書を締めくくっている。

 本書を森嘉兵衛賞として、推挙できる大きなメリットは、これまで日本ではあまり注目されてこなかった1984年半ばから1985年半ばまで1年にわたるイギリスの全国的な大炭鉱争議の全体像を簡潔に、かつ著者のイデオロギー的立場を超えてかなり客観的に描き出したことである。
 とかく争議研究には、争議への研究者の心情が入り込みがちであるが、早川氏は、争議を冷静に追及し、彼の言葉でいえば、「記録」していると評価できる。そのため本書は、われわれに、1960年の三池大争議と比較研究する材料を与えてくれている。こまかな問題で、早川氏の研究をさらに評価すべき論点も多いが、ここでは控えておきたい。
 なお、鉱山労働の研究を長い間おこなってきた評者の立場から、本書の弱点と思われた二、三の論点を指摘して講評をおわりたい。
 第1は、サッチャーが英国病として攻撃し、解体しようとした国営炭鉱内の労使関係の内実が、必ずしも明確に描かれていない点である。イギリスで少し永く暮らしたことがある者なら感じるイギリス人の働きぶりに英国病といわれた実態があるのかないのか、だから英国病といわれた労使関係(NUMが獲得してきた地下労働という特殊な具体的職場レベルの労働条件やさまざまな既得権利)を具体的に明らかにしなければ、炭鉱争議の本質やNUMの全面的な敗北の原因は明らかにならないのではないか、ということである。
 第2に、早川氏は、「生産点主義」を忌避するように言っているが、氏の争議分析には、他の産業と全く異なる地下坑内の労働過程、そこでの具体的な合理化の実態の問題が、すっぽり抜け落ちているように思える。この部面の解明なしに、争議の内実に迫れないのではないか。たとえばかつての森嘉兵衛賞を獲得した平井陽一『三池争議;戦後労働運動の分水嶺』(2000年、ミネルヴァ書房)が、生産現場での労使関係について詳細な分析をおこなっていることと対照的である。
 第3は、早川氏は、結局炭鉱争議とその後経過を巧みに記述しているが、それを総括しているようには思えない点である。私が知りたかったことは、あの大争議を如何に総括するかであった。それは抽象的な総括ではなく、はっきり言って、ほぼ完全に敗北した争議を指導したミリタントで左翼的なNUM主流の、なかんずくNUM委員長アサー・スカーギルの争議戦術、指導が正しかったのかどうか、完全に敗北した争議がどんなマイナス面とプラス面を生み出したのか、そもそも争議は、なぜ完全に敗北したのか、という問いにどう答えるかあった。残念ながら明快な答えをだしていないように思える。
 問題のない著作はありえない。批評すべき点はたくさんあり、評価すべき点もたくさんある本書は、わが国で唯一のイギリスの炭鉱争議(1984〜85年)のまとまった研究書として大きな価値をもつと断じておきたい。

法政大学名誉教授 村串 仁三郎