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法政大学経済学部同窓会>森嘉兵衛賞>第17回>B賞
■著者略歴 1943年 東京生まれ 1967年 法政大学経済学部卒業 1969年 法政大学大学院修士課程終了 1970年 長野大学(旧本州大学)講師 1984年 同大教授 1989年 広島県立大学(現県立広島大学)教授 1994年 県立広島大学大学院教授 2008年 同大学退職、県立広島大学名誉教授 ■講評 日本の近代化は、幕末維新期、明治期に欧米から産業革命を移入して果たされたと永い間考えられてきた。しかし日本の近代化は、政治文化の面でも各種の産業、経済の面でも、維新後に突然始まったわけではない。評者は、かつて石炭業の近代化が、僅かであるが幕末以来の在来石炭業の発展を基礎にして実現されたことを強調したことがある。 今回、森嘉兵衛賞に輝いた野原建一氏の『たたら製鉄業史の研究』は、近世から明治期末にいたるわが国の在来製鉄業史の実態を明らかにした研究である。 これまで日本の製鉄業の発達は、あたかも1901(明治34)年に八幡製鉄所が設立されて近代的な製鉄業が開始されてからとみなされ、近世において一定の発達をみていたことを無視または軽視してきた。しかし近世においては、おもに砂鉄を原料として成立してきた在来の伝統的な製鉄業は、さまざまな分野に鉄を供給しわが国の鉄文明を形成して、八幡製鉄所が設立するまで日本の巨大な鉄需要を充たしてきたのである。 本書は、その在来製鉄業がどのようなものであったかを実証的に解明した労作である。 本書の第一部は「移行過程におけるたたら製鉄業」と題し、第一章「製鉄技術の推移」は、たたら製鉄業の研究史、生産技術、経営、近代に入っての技術改良について概観したものである。 第二章は「たたら製鉄業の生産構造」を詳論したものである。たたら生産は、大量の木炭を燃料とし、毎回製鉄炉を作っては壊す小さな生産単位からなり、大量生産が不向きの構造をもっていた。製鉄経営については、砂鉄製鉄の生産性が低く、燃料の豊富な山間に発達し、大量の燃料と労働力の供給の面から、農村共同体と結びついて、おもに中国地方の地域産業として発達し、江戸中期以降、全国的な鉄市場に鉄を供給してきた。しかし開港以降、西欧式の安価な「洋鉄」が移入されて、在来製鉄業は圧迫され、危機的な状況に追い込まれていった。第二章は、そうした問題を明らかにしている。 第三章「移行過程の産鉄市場」は、近世後期、幕末、維新期におけるたたら鉄の市場を分析したものである。近世後期には、大阪を中心に産鉄市場が形成され、量的には明らかではないが、相当の鉄が全国に供給されていったことを明らかにしている。幕末期の産鉄市場は、市場が拡散し、大阪市場以外で製鉄業者と地方市場との自由な取引を生んだ。そして開港後、「洋鉄」の輸入と維新政府による製鉄業政策の変更によって在来鉄市場が変容し、在来製鉄業が圧迫されていく過程を解明している。 第二部は、一部の各論をより詳しく検討したもので、第一章「明治前期たたら製鉄業の危機」は、たたら製鉄の中心地であった出雲地方について、「洋鉄」の輸入のよってたたら製鉄業が危機に追い込まれる状況を実証的に分析し、第二章「明治中期のたたら製鉄業」では、前章にみたような危機にさらされながら、明治中期のたたら製鉄業が、東北地方の鉱石を原料とした在来製鉄業が、近代的な官営釜石鉱山・田中製鉄所に発展していったのとは逆に、砂鉄原料に基づいて、経営努力し、技術改良をこころみつつ、一時的に軍需用鉄を供給して生き抜きしつつも、構造的に衰退していく過程をあきらかにしている。 第三章「広島県備後地方の製鉄業」は、改めて近世から明治期のたたら製鉄業を広島県備後地方に視点をすえて概観し、また、たたら製法による「官営広島鉱山」の敗退を分析したものである。第四章は、「たたら製鉄業の史的意義」と題し、在来製鉄が地域に根ざし大きな雇用を創出し、兼業農家の生活を豊にし地域産業として果たしてきた役割を高く評価した。 森嘉兵衛先生がかつて釜石鉱山史を中心に在来製鉄業の研究に先鞭をつけたことを想起すると、野原建一氏の『たたら製鉄史の研究』は、森嘉兵衛賞にとって真に意義深く感慨深いものがある。 経済学部名誉教授 村串 仁三郎 |