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法政大学経済学部同窓会>事業・行事案内>特別事業(平和記念碑)
今年は、経済学部同窓会「平和祈念碑建立20周年記念」にあたります。そこで記念事業の一つとして、ホームページ部会は、本ホームページ閲覧の皆さまがたから、『私の戦争体験を語る』を募集し、お互いに平和についての認識を深めるために、掲載することにしました。募集期間は、本年度いっぱいとし、2016年3月末までとします。 原稿の容量は、2000字前後とし、原稿を(メール・アドレスを記入の上)経済学部同窓会事務局ホームページ部会宛(〒 194-0298 町田市相原町4342、法政大学経済学部内)、にお送りください。簡単な審査の上公表します。 ホームページ部会 掲載記事
2014年末以来、戦後70年、平和祈念碑建立20周年記念事業として、経済学部同窓会が企画し準備を重ねてきた「戦争と平和を共に考える集い」が、主催;経済学部同窓会、後援;法政大学大学史委員会、社会学部同窓会で、去る11月21日、法政大学多摩キャンパス内で開催されました。 第1部 「平和祈念碑前での集い」 第1部は、秋の晴天のもと、経済学部棟敷地内に設置された平和祈念碑の前で、10時30分から1時間かけて行われ、元法政大学総長・増田寿男先生をはじめとするたくさんの元経済学部教授、同窓会の会員、学生さんなど約80名が参加しました。 当時は記念事業実行委員を務め、今回の「戦争と平和を共に考える集い」の中心メンバーである経済学部同窓会副会長・加藤毅氏の司会によって開催され、はじめに、平和祈念碑建立20周年記念誌に掲載されている「平和祈念碑建立20周年を迎えるにあたって」の『アピール』が司会の加藤さんによって読み上げられました。 続いて、同窓会長・辻田実さんの挨拶があり、体調不良のため出席がかなわなかった同窓会初代会長・神阪昂哉さんから寄せられたメッセージが、同窓会代表幹事の寺内敬壽さんにより代読されました。その後、20年前除幕式に列席した、当時法政大学総長であった法政大学名誉教授・下森定先生が当時を振り返り、今回、平和祈念碑前で「戦争と平和を共に考える」ことの意義を熱く語られました。 さらに、20年前、平和祈念碑建立を提唱し建立運動に努力された、平和祈念碑建立特別委員会委員長の故根上淳(本名森不二雄)さんの奥様であられるペギー葉山さんが、故根上淳さんに代わって挨拶されました。ペギー葉山さんは、根上さんが、特攻隊の生き残りとして戦後いかに生きるべきかを思う中で、戦争の愚かさと平和の大切さを後輩に訴えるために、昼夜を分かたず平和祈念碑建立運動に励んでいた様子を、語ってくださいました。 最後に、20年前経済学部長であった村串仁三郎法政大学名誉教授(現・同窓会副会長)が、「平和祈念碑を建立して20年たった。その存在が忘れ去られそうになっている昨今、現在世界の各地で戦争に近い状況が生まれている中で、改めて20年前の『平和祈念碑建立運動とは何であったのか』を記念誌(注)としてまとめ、5,000部ほど印刷した。同窓会会員だけでなく、法政大学の現役学生、さらに今後入学して来る学生に読んでもらい、共に戦争と平和について考えていただきたい」と語り、閉会の締めとしました。
第2部 「法政大学学徒出陣資料展を見る」 エッグドーム2階のエレベーター前ロビーでは、11月16日から21日まで法政大学学徒出陣展が行われており、第1部が終わった後、昼食を挟んで、エッグドーム2階のロビーで展示されていた「法政大学学徒出陣資料展」を、各自見学しました。この展示会については、東京新聞(多摩版)などでも報じられたため、学生、多摩の先生方のほか、大学周辺の一般市民や法政卒業生などが、多数見学に来ていました。
第3部 「戦争と平和を共に考える――記念講演会」 第3部は、13時からから17時にかけてエッグドーム5階ホールで、同窓会会員に加え、一般市民、学生など80名ほどが参加して、3講師による講演と、学徒出陣を体験した本学卒業生による報告会およびディスカッションが行われました。 最初に、増田寿男先生から挨拶があり、学徒出陣70周年にあたる2013年に開催された「学び舎から戦場へ」と題する公開シンポジウムにおいて、「平和の誓い」のアピールを出されたことに触れられました。続いて、田中優子総長から「平和祈念碑建立20周年記念事業」に寄せられたメッセージが、経済学部同窓会代表幹事の寺内敬壽さんにより読み上げられました(田中総長のメッセージはこの記事の末尾に掲載してあります)。 最初の講演は、法政大学国際文化学部教授で、法政大学史委員でもある高栁俊男先生から「法政大学生の学徒出陣」というテーマで行われました。高栁先生からは、これまで十分でなかった法政大学生の学徒出陣の実態を、ここ数年かけて調査し、まとめる準備を行っているという旨の報告がされました。 次の講演は、実行委員会委員の嶋崇さんから、「戦後世代からの問題提起」と題して行われました。嶋さんからは、本講演会の1週間前にパリで起きた大規模なテロ(オランド大統領は「戦争」と発言)などの根底には、世界的なベストセラー『21世紀の資本』の著者ピケティも指摘する絶望的なまでの格差の拡大という問題があるのではないか、その問題を、法政大学の経済学部が社会学部などと協力しながら解き明かしてほしいとの発言がされました。 続いて、元社会学部教授で法政大学名誉教授の石坂悦男先生から、「現代の戦争とゼミ生後藤健二の死」についての講演がなされました。石坂先生からは、現代の戦争が、かつての戦争と違って中東の紛争としてあり、ISを主としたテロをする側と、先進国を主としたテロ勢力を粉砕する側との戦争状態となっている、こうした戦争に、日本政府が参画しようとしている、という報告がされました。 そして、このような状況下で、“知らせる権利”と“知る権利”が、特定秘密保護法の制定や安保法の制定で抑制されようとしており、言論の萎縮、報道の自己規制の支配する状況が生まれつつある。このような言論状況の中、自分のゼミ生である後藤健二さんは、フリージャーナリストとして中東での戦争現場の真実を伝えるために奔走した。その過程でISの捕虜となったが、安倍政権は、その状況を承知の上で「有志連合」への参加を宣言し、そのことが災いして、残念にもⅠSにより惨殺されたと思われる、と話されました。 そして、平和記念碑に刻まれた先輩たちの熱いメッセージを引き継ぐことこそ、平和を守ることである、と結びました。 最後に、高栁先生の司会で、学徒出陣された法政大学法学部OBである黒岩銈三氏から、「私の学徒出陣体験」と題して、軍内で暴行が横行する初年兵の日々、幸いにも自分は一人も殺すことなく終戦を迎えたことなど、生々しい戦争体験が報告されました。また、若い世代に対し、ぜひとも「人を育てること」を重視してほしいと語られました。 生々しい戦争体験を黒岩銈三さんが報告された後、ディスカッションが行われました。 会場からの「建設業では、今大変な人手不足になっている。“仕事がない”などというのは若者の甘えではないだろうか」という発言に対し、演者からは「確かに建設業はそのような状況ではあるが、平均賃金には程遠い実態である」「雇用と生活の安定性を考えると、現状はそれを満たすものとは言えない」などとの発言がされました。また、「安倍政権も、建設業の待遇改善をしている」との発言には、「改善策を出しているのは事実かもしれないが、アベノミクスの中心は、あくまでキャピタルゲインを増やすこと。そうすれば経済は不安定要素を増し、格差も拡大する。建設業は使用価値を生み出す大切な産業なのだから、根本的な待遇改善が必要」などの発言がされ、「先の戦争のとき、国民は騙された。われわれは“騙されていないのだろうか?”と常に考え、そして投票に行くことが非常に大切」という会場からの発言で締めくくられました。
第4部 「交流会」 講演のあと、17時30分から19時30分時まで、会費5,000円、学生は無料で交流会がエッグドーム2階のスローワールドカフェで開催され、スローワールドカフェの方たちが作られた、心のこもった料理に舌鼓を打ちながら、和やかな歓談がされました。
平和祈念碑建立20周年記念事業に寄せて 法政大学総長 田中 優子
本日は、「平和祈念碑建立20周年記念事業」を開催くださり、誠にありがとうございます。残念ながら出席することがかないませんので、メッセージを送らせていただきます。 本日ご出席の皆様はどなたもご存じのことと思いますが、1993年には、学徒出陣50周年の節目に、本学の阿利莫二総長も中心となって全国の私立大学に呼びかけ、「学徒出陣50年にあたって ―― 私立大学総長・学長の共同声明」を発表されました。その声明では、大学本来の使命は「真理の探究を通じて世界の平和と人類の福祉に貢献すること、そのような学問的営為によって次代を担う若人を育てること」にあり、その使命を今日の課題に即して、十分に果たさなければならないと宣言しました。 そしてその二年後、戦後50年の節目の1995年に、皆様方、経済学部同窓会が中心となり、学内外の多くの方々からの協力を集められて、この平和祈念碑を建立されました。その碑文では、学徒出陣の時代をふりかえり「君たちは決して、そのような青春を送ってはならない」と、現在と未来の学生たちに力強く呼びかけてくださいました。 その後も本学では学徒出陣の経験を忘れることなく、近年では大学史委員会が本学卒業生の学徒出陣調査を開始し、学徒出陣70周年にあたる2013年には、「学び舎から戦場へ」と題する公開シンポジウムを開催しました。その場で、当時の増田壽男総長は「平和への誓い」と題して、「若者に過酷な道を歩ませた責任の重みを忘れることなく、この悲劇をもたらしたものをしっかりと見つめることは、本学の教育理念達成のために欠かせない」と、本学総長としての姿勢をあらためて示されました。 私は、昨年度の学位授与式告辞で、その直前に起きた後藤健二さんの死に触れて、前総長のこの「平和の誓い」を、自分も総長として受け継ぎ、さらに次の総長に手渡して行くと、卒業する学生たちに誓いました。 本学は、昨年度スーパーグローバル大学創成支援事業に採択され、グローバル化において日本全国の大学をリードする立場に立ちました。つい先日のパリの事件に表れているように、グローバル化した世界でこそ、私たちは平和な世界をつくる知恵と力が問われます。そして、そのために大学の役割も一層大きく重くなっています。今後も、皆様方とともに、本学の歴史を深く見つめ、その経験から未来を創造する大学でありたいと思っております。どうぞこれからもお力をお貸しください。 本日の会の開催にご尽力くださった方々のご苦労に感謝申し上げるとともに、会のご盛会を心より祈念申し上げます。 2015年11月21日
(注)『平和祈念碑建立運動とは何であったのか』(法政大学経済学部同窓会平和祈念碑建立20周年記念誌)は、同窓会会員の方には、すでに昨年9月にお届けしましたが、まだお受け取りでない方は、同窓会事務局に連絡していただければ、無料で郵送いたします。同窓会会員以外の方には、郵送費(350)を送っていただければ郵送いたします。
▼「平和祈念碑」万感の除幕式 経友会など300余名が参加 戦後50年の節目の年に「平和記念」の碑を建てようと決め、建立特別委員会を発足させてから半年足らずの1996年3月8日、記念すべき除幕の式典が多摩キャンパス経済学部棟の入口、芝生の広がる三角地帯で行われた。当日は前夜来の雨もあがり、曇り空で寒さは厳しかったがまずまずの日和だった。12時過ぎから同窓会メンバーが続々と集合、定刻の1時には参加者は、下森総長はじめ大学関係者、八王子市、町田市など地方自治体、校友会などを含めて300名余に達した。 ▼レクイエム流れる中で 除幕式は根上淳特別委員長の経過報告と募金への感謝の言葉で始まり、除幕は神阪昂哉同窓会会長、下森定法政大学総長、村串仁三郎経済学部長によって行われた。三氏が紅白の紐を引くと、高さ3m、幅3mの巨大なモニュメント「平和祈念碑」が姿を現す。モーツァルトのレクイエムが流れるなか、期せずして拍手が巻き起こり、平和の鳩が空中高く舞い揚がった。会場からは思わず「写真よりはるかに素晴らしい。立派なものだ」という声が聞こえてくる。 三つの自然石の組み合せには「不安定な形は、平和を維持する難しさを象徴している。みんなが大事にしなかったら平和は守れない」という思いが込められている。碑の前には、ステンレスの板に碑文を英語、中国語、ハングル語に翻訳したものを配し、留学生を意識したものにもなっている。碑の後方には、もう一つの石があり、募金者全員の氏名が50音順に刻印される予定になっている。 根上平和祈念碑建立特別委員長は、あいさつの中で「50年前は軍事教練が一番重要な教科だった。そして学業半ばで学徒動員され貴重な青春を犠牲にした。あの痛恨の思いを歴史の中に風化させず、後輩たちに語り継ぐべきメッセージとして何か残したいというのが発端だった。同窓会のメンバーだけでなく一般の方々まで協力していただいた。まさにこの祈念碑は平和に対する皆様の熱意の賜物」と語り謝意を述べた。 ■語り継ぐべきメッセージを-根上特別委員長報告(要旨) 顧みまして、今から50年前の法政大学は、さながら戦士の養成所という状況でありました。校庭はもちろん、旧代々木練兵場および今の自衛隊が使用している富士山麓での軍事教練が一番重要な科目でした。その荒涼たる大学から、多くの学生が、学徒動員・勤労動員という名のもとに、学問をなげうち、貴重な青春を犠牲にしていったのであります。 あれから50年、いまや戦後世代の人口が国民の過半数を越え、平和と飽食のなかで、あの戦争の真実がまだ不十分にしか解明されないままでいます。そして歴史の中に埋没して行こうとしています。 この現実のなかで、法政大学経済学部同窓会では、戦後50年の区切りの年を迎えて、「今こそ事実を風化させることなく、後輩たちに語り継ぐべきメッセージを残さなければならない」という声が盛り上がり、この「平和祈念碑」の建立が計画されました。 同時に、同窓会会員各位に、この主旨を呼びかけしましたところ、まことに大きなご理解とご協力をいただくことができ、本日、このように立派な「平和祈念碑」を完成させることができました。ありがとうございました。 ■学窓を巣立つ若い人たちに-神阪昂哉会長あいさつ 幹事会で、戦争終結50年の大きな歴史の節目に、何かこの戦争の悲惨さを語り継げる方法はないものだろうかが話題になっておりました。討議の結果、平和の尊さと、この貴重な体験を再び繰り返さないためのメッセージを若い後輩たちに贈ろうではないか、ということになったわけです。経済学部の卒業生は約8万人といわれますが、この大半は戦後に生まれ育った方々であります。年齢ギャップのほかに価値観の相違もありますから、正直に申し上げて、この企画に賛同を得て、基金の拠出にご協力がいただけるか大変心配をしていました。 ところが、特別委員会を設置し、根上さんが委員長になられ、特別委員を決めたところ、熱心に努力されまして、予想以上の反響と沢山の浄財を賜り、本日の建立にこぎつけました。特別委員の方々、ご出席の皆様方、本日ご出席されなかった関係者の皆々様、あるいは法人の方々に改めて御礼申し上げます。これから後、この祈念碑は、法政大学経済学部の前に燦然として輝き、常に戦争の悲劇を繰り返さないことを呼びかけるものと信じております。 最後に、大学ご当局と大学の先生方にお願いがあります。それは、祈念碑がここに建立された経緯と先輩たちの心情を、学窓を巣立つ若い人たちに伝え、平和日本の建設の一翼を担う素晴らしい学生にしていただきたいということです。このことは、私たち企画に携わった者の一致した念願であり、期待であります。 ■根上さんのざっくばらん報告 祝賀会で乾杯が済んだ後、根上委員長が「フォーマルでない」経過報告を行った。 ▼まず、特別委員に感謝 昨年(1995年)の6月頃だったと思います。終戦50年を何かの形で残しておくものを作ろうと、ここに集った方々が特別委員になり、「これが良かろう」というものが出るまでかなりの時間がかかりました。皆さんありがとうございました。 ▼なぜ経済学部だけでやったか 経済学部だけにこだわりはなかったが、3月までにはどうしてもやりたい。そうすると経済学部だけでやるしかなかったのです。それに戦争中にはなかった学部もあります。本当は大学全体でやりたかったが、それは無理、「経済学部だけでもできるよ」と見切り発車、実に恐ろしい始まり方をしたのです。 ▼資金のメドが立つまで夜も眠れず お金の面で「これは行ける」とメドが立つまで、私は夜も眠れませんでした。もし本当にお粗末なものしか作れなかったら、金が集らないことよりも、同窓会自体の真価が問われるということがあったんです。3月8日現在、742名の方が募金に応じてくれました。現在4000名の会員がいるのですが、その中の5人に1人が呼掛けに対応してくれたことです。 「同窓会で何かやるんだったら金を出すよ」という人がこれだけいたことは、同窓会の本質的な問題だと思うのです。それだけ同窓会が動いているということです。金が集ったことも嬉しいけど、800人近い人が呼掛けに応えてくれたことが嬉しかったのです。 ▼ステンレス板に氏名を刻印 既に800万円を越す募金が集りました。これは同窓会が生きている証拠です。とかく法政の学生は、大学を卒業すると大学の方を向かないという評判があるのですが、立派に800人の人は学校の方を向いていたのです。 さて募金に応じていただいた方の名前を留めると最初に約束しました。すでにお気付きかと思いますが、あの碑の左側にもう一つの石があります。あの石に、氏名を50音順に刻印したステンレス板を取り付ける計画です。碑の周囲には、多少の植裁もしたいと思います。 ▼平和を維持する難しさ 碑文の書を書いていただいた青柳志郎先生と碑の制作をしていただいた斎藤徹先生をご紹介します。あの碑は当初、斎藤先生が5つくらい案を作ってくれました。その中に「あ、これだ」というのがあったのです。というのは、あの碑自体が非常に不安定な形をしていると思うんです。平和というのは、不安定ななかに大事に守っていくものだと感じたんです。 ▼専門家に頼んでよかった-建立うら話- 建立特別委員といっても碑のデザインなんてやった人はいない。何軒かの石屋さんに平面図、立面図をいくつか見せてもらったが、どれも墓石のイメージが強くていただけない。われわれは忠霊碑を造るのではない。 ホトホト困っていたある日。常任幹事で行動美術協会の星野和雄氏が「それは芸術家に頼むべきですよ」とおっしゃる。これはナットク。 梅謙次郎先生の胸像を造られた彫刻界の重鎮、建畠覚造氏、さらに氏の愛弟子、斎藤徹さんを紹介していただくことになった。 斎藤さんと同道して多摩キャンパスで、場所や方角等を決めたのは11月下旬だったろうか。斎藤さんから、いくつかのプランが送られてきたのは、それから10日ほどたってからである。委員会が、プランのなかから決定したのが現在の碑である。 斎藤さんは、早速、福島県の相馬まで石を探しに行かれた。この先は素人の出る幕ではない。斎藤さんにお任せである。そして威風堂々、総重量15トン。ジョイント部分には、直径6センチのステンレスの丸棒を、6本使用した碑が3月8日に完成した。星野氏の忠告に従って良かったとしみじみ感じている。 |